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大河ドラマ『天地人』では秀吉の朝鮮出兵の時代に差し掛かっている。
直江兼続が朝鮮出兵に参加していたとき、帰国命令があり、戻ると秀吉に一子・秀頼が生まれていたというもの。そして、秀次事件に続く。
NHKの番組HPで確認すると、朝鮮出兵は8月9日放送の第32回「世継ぎの運命(さだめ)」で、秀次事件は8月16日放送の第33回「五人の兼続」。
番組では五大老五奉行の話もあったと想う。

2009年8月22日の朝日新聞夕刊では朝鮮出兵を扱った映画の監督へのインタビュー記事があり、秀吉が朝鮮出兵で作った「耳塚」を理由に、いまだに韓国人が日本人を恨んでいるかのようなコメントがあった。日本人が「耳塚」の存在を知れば、韓国人による日本人への恨(ハン、han)を解消できるだろうというのが、その監督の意見のようであった。
信長は敵兵士の頭蓋骨で杯を作っていたと言われるし、「取」という漢字を見ればわかるように戦で敵の耳を取るというのは古代シナが起源であろう。始皇帝や三国の時代でそういうことがあったかどうかすべて検証すべきであろうか。
信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたが、佛教関係者は織田信長やその末裔を恨んでいないのだろうか。佛教徒にとっては九段下の神社参拝より、信長を英雄にした作品のほうが問題であろう。

そもそも当時は日本でも朝鮮でもシナでも戦争や「侵略」が当たり前で、天下平定のための戦が普通の時代であり、その時代の「耳塚」などを理由に今の日本人をどうこう言うのは歴史的背景を知らない幼稚な考えだ。朝鮮でも新羅と唐の連合軍が高句麗を「侵略」して滅ぼし、その新羅が高麗になった経緯がある。秀吉の朝鮮出兵当時、元と高麗による元寇はまだ記憶に新しかったはずだ。

赤穗浪士は人家に押し入って老人の首を切断して戦利品にした。これを英雄視する日本の異常な風習を批判しないメディアが、秀吉の作った「耳塚」だけを批判するのは的外れである。
└→大河『天地人』で朝鮮出兵(1592年、1597年)と秀次事件(1595年)II

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2009年8/23