「プロポーズ作戦」でのび助と玉子は1959年に公園で婚約したことになっている。
玉子はまだ若かったが、すでに社会人か、すでに大学生以上にはなっている。
ところが、「ママのダイヤを盗み出せ」で玉子が1948年当時7歳だったとすると、玉子は18歳でのび助と婚約したことになる。「ママの~」の少女時代で10歳だったとすれば玉子は1959年で21歳で、短大を出ていたとすれば何とか辻褄が合うが、「ママの~」で少女時代の玉子が「10歳」というのは少し無理がある。。
玉子はまだ若かったが、すでに社会人か、すでに大学生以上にはなっている。
ところが、「ママのダイヤを盗み出せ」で玉子が1948年当時7歳だったとすると、玉子は18歳でのび助と婚約したことになる。「ママの~」の少女時代で10歳だったとすれば玉子は1959年で21歳で、短大を出ていたとすれば何とか辻褄が合うが、「ママの~」で少女時代の玉子が「10歳」というのは少し無理がある。。
これも、玉子の生まれた年を「ママのダイヤを盗み出せ」から算出したことによる問題である。
「ママのダイヤを盗み出せ」は1975年初刊の単行本に収録されており、ここで玉子7歳の時代が西暦1948年とすれば、これは「1975年基準」での設定である。
これを「1970年基準」にすれば時代設定が5年過去にさかのぼるので、玉子は1943年で7歳になる、1936年生まれ。1959年当時は23歳であり、4年生大学を出たばかりである。
また、「プロポーズ作戦」では1959年が「12年前」なので、単純計算で1971年の話だとすると、「1971年基準」であるから、玉子は1937年生まれ、1959年当時は22歳である。大学4年生か短大卒の社会人だったと解釋できる。
「ママのダイヤを盗み出せ」は1975年初刊の単行本に収録されており、ここで玉子7歳の時代が西暦1948年とすれば、これは「1975年基準」での設定である。
これを「1970年基準」にすれば時代設定が5年過去にさかのぼるので、玉子は1943年で7歳になる、1936年生まれ。1959年当時は23歳であり、4年生大学を出たばかりである。
また、「プロポーズ作戦」では1959年が「12年前」なので、単純計算で1971年の話だとすると、「1971年基準」であるから、玉子は1937年生まれ、1959年当時は22歳である。大学4年生か短大卒の社会人だったと解釋できる。
また、のび助は「1974年基準」では西暦1938年生まれ(1974年で36歳)なので、「1970年基準」では1934年生まれ(1970年で36歳)、そして「1971年基準」では1935年生まれ(1971年で36歳)になるので、1959年当時は24歳である。
つまり、「プロポーズ作戦」の時代設定を1971年とし、ここでのび太10歳、のび助36歳、玉子34歳とすれば、「プロポーズ作戦」における12年前においてのび助は24歳、玉子は22歳で婚約したことになる。
つまり、「プロポーズ作戦」の時代設定を1971年とし、ここでのび太10歳、のび助36歳、玉子34歳とすれば、「プロポーズ作戦」における12年前においてのび助は24歳、玉子は22歳で婚約したことになる。
のび助と玉子の公園でのエピソード(婚約→おそらく年内結婚)はのび太の生まれた年によって違ってくる。したがって、常に1959年とは限らない。
「1974年基準」ではのび助と玉子の公園でのエピソードは1962年(1974年から12年前)になり、のび太は1964年誕生。
「1975年基準」ではのび助と玉子の公園でのエピソードは1963年(1975年から12年前)になり、のび太は1965年誕生になる。
「1974年基準」ではのび助と玉子の公園でのエピソードは1962年(1974年から12年前)になり、のび太は1964年誕生。
「1975年基準」ではのび助と玉子の公園でのエピソードは1963年(1975年から12年前)になり、のび太は1965年誕生になる。
てんコミ第2巻収録「ぼくの生まれた日」でのび太が1964年8月7日生まれになっているが、これも「1974年基準」に置き換わった結果であり、「1970年基準」ではのび太は1960年8月7日生まれ。また、「1971年基準」では1961年8月7日生まれになる。のび太はのび助が26歳、玉子が24歳のときの子供である。
└→「この絵600万円」におけるのび助は何歳か
└→「この絵600万円」におけるのび助は何歳か