野比のび助と玉子の生まれた年、年齢について考える場合、まず、『ドラえもん』連載開始当時の1970年を基準とする。
ここでのび太は1970年で10歳であり、1960年8月7日生まれ、1979年3月に高校を卒業する予定であった。

年齢差については、のちの作品が参考になる。
1974年初刊の単行本に収録された「地下鉄をつくっちゃえ」ではのび助は36歳。
この時期の作品ではのび太は1974年で10歳なので、のび助はのび太より26歳年上である。

1975年初刊の単行本に収録された「ママのダイヤを盗み出せ」では玉子は1948年で子供であった。これは作品の収録された単行本が出た当時から27年前のことである。
これはテレ朝『ドラえもん』HPによると、2007年にリメイクされたアニメで「昭和50年代で7歳」という設定なので、原作「ママの~」の玉子も1948年で7歳だったと解釋できる。

なお、2007年のアニメで玉子の少女時代を「昭和50年代(1975~1984年)」としているが、劇中に登場した松田聖子は昭和55年(1980年)であり、時代は昭和55年から59年(1984年)までに限られる。
しかも劇中のサイン会で「赤いスイートピー」が流れているので、時代は昭和57年(1982年)以降になる。

ここで、1974年と75年の作品ではのび助と玉子の生まれた年がすでに連崔開始当時から4年ないし5年だけ、ずれていることに注意すべきであろう。
例えば「地下鉄をつくっちゃえ」でのび助が1974年で36歳なので、1938年生まれのように想えるが、これはのび太10歳の時代を1970年から1974年にずらした結果である。したがって1970年当時の基準に戻すと、のび助が36歳だったのは1970年、生まれたのは1934年になる。
この場合、「白ゆりのような女の子」でのび助が1945年6月10日に疎開していたとき、彼は11歳だったことになる。もし、1974年当時の設定を採用すると1945年で7歳、小学1年であるが、『はだしのゲン』によると小学1年は疎開に行けなかったらしい。

玉子についても同様で、1948年で7歳とするのは1975年ごろの作品での話である。これを1970年当時の基準に戻すと1943年で7歳、したがって、1936年生まれ。のび助より2歳年下だ。
└→「プロポーズ作戦」のとき、のび助と玉子はそれぞれ何歳だったか