『トリビアの泉~へぇの本~III』(2003年9月3日第1刷)85ページと86ページで 花火の「玉屋」は店の花火で江戸の町を焼きつぶれた というトリビアがある。トリビアNo.170である。
1808年(文化5年)、花火屋の名門「鍵屋」の番頭・清七がのれん分けをしてもらい、「玉屋」が誕生。
両国吉川町(中央区東日本橋)に作ったとあるが、諸説あるらしい。
玉屋の人気は上がったが、1843年(天保14年)4月17日、玉屋の火事により江戸の町が半町(1500坪)焼けた。
翌日、玉屋は江戸から追放され、そのまま断絶したらしい。
両国吉川町(中央区東日本橋)に作ったとあるが、諸説あるらしい。
玉屋の人気は上がったが、1843年(天保14年)4月17日、玉屋の火事により江戸の町が半町(1500坪)焼けた。
翌日、玉屋は江戸から追放され、そのまま断絶したらしい。
これが1843年のことだとすると、鳴滝忍は最低40代としても、満年齢で39歳以上だから1804年以前の生まれ。
シーボルトのむすめ・楠本イネは1827年生まれなので1843年では満年齢で16歳、数え年17歳なので、まず別人ということになる。
シーボルトのむすめ・楠本イネは1827年生まれなので1843年では満年齢で16歳、数え年17歳なので、まず別人ということになる。
また、この『トリビアの泉III』の本では「『巨人の星』の星飛雄馬はクリスマスパーティーで大失敗したことがある」というトリビアも載せられている(13~19ページ、No.134)。
これは1969年12月27日放送の第92話「折り合わぬ契約」での話。
時代設定は放送当時からほぼ1年前の1968年12月24日までである。
これは1969年12月27日放送の第92話「折り合わぬ契約」での話。
時代設定は放送当時からほぼ1年前の1968年12月24日までである。