『必殺仕事人V旋風編』の中村主水はいつ裏稼業を始めたか【弐】 

ここで今まで出た文化・文政時代における『旋風編』の主水の裏稼業変遷の可能性を並べてみる。
「毎」は「仕置人」から「商売人」「仕事人」まで1年1回づつ、裏稼業名が変わっていったことを指す。

_______1812年「仕事人」(←毎)
1807_文化4__仕置人_1819年「事」の8年前が「新仕置」(前後毎)
1808_文化5__仕置屋_仕置人
1809_____仕業人_仕置屋
1810_____新仕置_仕業人
1811_____商売人_新仕置
1812_____仕事人_商売人
1813_____↓___仕事人_1819年「仕事人」(→毎)
1814_文化11_↓___↓___仕置人_1818年「新仕置」(前後毎)
1815_文化12_↓___↓___仕置屋_仕置人 
1816_____↓___↓___仕業人_仕置屋
1817_____↓___↓___新仕置_仕業人_1818年「仕置人」→1819年「仕事人」
1818_文政元_↓___↓___商売人_新仕置_仕置人
_______↓___↓___↓___商売人_仕置屋
_______↓___↓___↓___↓___仕業人
_______↓___↓___↓___↓___新仕置
_______↓___↓___↓___↓___商売人
1819_____仕事人_仕事人_仕事人_商売人_仕事人
_______↓___↓___↓___仕事人_↓__ 『仕事人V旋風編』
1820_____仕事人_仕事人_仕事人_仕事人_仕事人 『仕事人2007』
1821_____仕事人_仕事人_仕事人_仕事人_仕事人 『仕事人2009』

また、中村主水の裏稼業が約1年ごとに変わったと假定して基準を多数設定で書いたように、シーボルト事件のときの主水が、その当時に「仕事人」になったとすると、「仕置人」になったのは1823年で、文政時代である。
ちなみに、1818年の文政元年で「仕置人」稼業が始まり、1年ごとに稼業の名が変わったと假定すると主水が「仕事人」になったのが1823年になる。また、秀が『必殺まっしぐら!』での仕事をしていた1833年に主水が「仕事人」を始めたとすると、「仕置人」は1828年になる。また、ハレー彗星接近が「仕事人」スタートとすると、秀が出張仕事をしていたとき、主水は「新仕置人」の時期だったことになる。

_______1818年「仕置人」(→毎)
1818_文政元_仕置人
1819_____仕置屋
1820_文政3__仕業人
1821_____新仕置
1822_____商売人_1828年「仕事人」(←毎)
1823_____仕事人_仕置人 
1824_____↓___仕置屋
1825_____↓___仕業人
1826_____↓___新仕置
1827_____↓___商売人_1833年「事」(←毎)
1828_____仕事人_仕事人_仕置人
1829_文政12_仕事人_仕事人_仕置屋_1835年「事」(←毎)
1830_天保元_____↓___仕業人_仕置人
1831_________↓___新仕置_仕置屋
1832_________↓___商売人_仕業人
1833_________↓___仕事人_新仕置
1834_________↓___↓___商売人
1835_________仕事人_仕事人_仕事人

この分析方法の場合、もし、1821年から1828年まで主水が仕事人を続けていなかったとすると、『仕事人2007』および『2009』の主水が『勢ぞろい仕事人!春雨じゃ、悪人退治』の主水と違うという可能性もある。
別であれば、『2007』『2009』の主水が18920年に書庫番、1821年に自身番勤務になっていながら、1828年に定町廻りに「戻っている」ことの説明がつく。「43歳4基準」ではシーボルト事件のときの主水とハレー彗星接近のときの主水が同一人物になる。
└→シーボルト事件のときの主水とハレー彗星接近のときの主水
└→文政から天保初期までの中村主水の裏稼業変遷

なお、『旋風編』の時の藤田まことが53歳(最終回は54歳の誕生日の前)だったことから、単純に1818年当時の主水が53歳、1819年で54歳だったと假定すると、1819年で54歳→1809年で44歳(新仕置人の時の藤田まことの年齢)→1805年で40歳(旧仕置人の時の藤田まことの年齢)になる。

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09年8/17