中村主水の裏稼業が約1年ごとに変わったと假定して基準を多数設定 

ます、『必殺仕置人』の時代設定が文政であることから、主水の「仕置人」から「仕事人」までが文政元年(=1818年)の1年間にあったと假定するとこうなる。

1818年『仕置人』→1819年『仕事人』の場合
1818_文政元_仕置人 (北町同心、裏稼業開始)
_______仕置屋 (南町に異動)
_______仕業人 (牢屋見廻りに格下げ)
_______新仕置 (定町廻りに復帰)
_______商売人
1819_____仕事人 『必殺仕事人V旋風編』(長屋の番所か)
1820_文政3__仕事人 『必殺仕事人2007』(書庫番)
1821_____仕事人 『必殺仕事人2009』(自身番)

主水は『旋風編』で確か長屋の番所勤務、『2007』で書庫番になったあと、『2009』で自身番勤務になるなど、1819年から1821年までの主水は移動が激しかった。
だが、初期の主水シリーズが1818年の1年のできごとだとすると、西暦1818年の1年間に主水は北町から南町、牢屋見廻りに移ってまた南町の定町廻りに戻るなど、目まぐるしく職場が変わっていたことになる。

次に文政時代にも同心として、さらに仕事人として「現役」の主水が複数いたと假定してみる。

まず、『旋風編』で主水が銀平と出会ったとき、確か、主水は「8年前に虎の元締めから銀平のことを聴いた」と言っていたと想うので、1819年から8年さかのぼった1811年が『新必殺仕置人』の舞台だとするとこのようになる。

1819年『旋風編』の8年前が『新仕置人』の場合
1808_文化5__仕置人
1809_____仕置屋
1810_____仕業人
1811_文化8__新仕置 (虎が裏組織を仕切る)
1812_____商売人
1813_____仕事人
1814_文化11_↓__
1815_____↓__
1816_____↓__
1817_____↓__
1818_文政元_↓__
1819_____仕事人 『必殺仕事人V旋風編』(1811年から8年後)
1820_____仕事人 『必殺仕事人2007』
1821_____仕事人 『必殺仕事人2009』

この場合、主水の裏稼業の前期「仕置人」のスタートは1808年に早まり、裏稼業後期である「仕事人」のスタートも1813年に早まる。1828年のシーボルト事件のときに主水が「仕事人」になったと假定した基準(→参照)では「仕置人」スタートが1814年なので完全に入れ替わりである。
また、この「1811年『新仕置人』基準」では「仕置人」と「新仕置人」の時代は文化年間になり、『仕事人2009公式ガイドブック』にある『必殺仕置人』の時代設定を「文政年間」とする解釋とは別世界になる。

さらに、クロねこの歴史観で『仕事人V』第26話「主水、下町の玉三郎と出会う」の時代設定を「1812年」としていることを採用して、主水の「仕事人」稼業を1812年からにしてみる。

『仕事人』が1812年の場合
1807_文化4__仕置人
1808_文化5__仕置屋
1809_____仕業人
1810_____新仕置 (虎が裏組織を仕切る)
1811_文化8__商売人
1812_____仕事人 『必殺仕事人V』第26話
1813_____↓__
1814_文化11_↓__
1815_____↓__
1816_____↓__
1817_____↓__
1818_文政元_仕事人 『必殺仕事人V旋風編』(主水と銀平が出会う)
1819_____仕事人 『必殺仕事人V旋風編』(オランダ商館から表彰)
1820_____仕事人 『必殺仕事人2007』
1821_____仕事人 『必殺仕事人2009』

この場合、主水がオランダ商館から表彰されたのが1819年1月であることから、主水が『旋風編』の裏稼業を始めたのが前年(1818年)からだと解釋すれば、主水が銀平と出会ったのは1818年、そこから8年前の1810年に虎が江戸の裏組織を仕切っていたことになる。
└→『必殺仕事人V旋風編』の中村主水はいつ裏稼業を始めたか【弐】

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09年8/17