中村主水「43歳」説を採用した場合の4種類【壱】 

一方、この「43歳基準」の場合、鳥居耀蔵を暗殺した主水と水野忠邦を暗殺した主水は「別人」の可能性が高くなる。
「43歳基準」では、『江戸警察』の主水は『主水死す』冒頭で描かれた葛飾北斎没のとき(1849年)には62歳になってしまい、主水が50代までとすれば『主水死す』の主水は『仕置屋』の主水のほうになる。

葛飾北斎が数え年90歳で亡くなったとき『仕置屋』主水は51歳。今度は『仕置屋』主水が50代になっており、1851年、53歳のときに水野忠邦(当時数え年58歳)を暗殺し、おそらくはその少しあとに小屋で爆死した(または行方不明になった)ことになる。

この結果は「43歳4基準」独自のものである。「文政の主水」「天保の主水」「幕末の主水」の3基準や鳥居就任当時を境に20年前と20年後に分けた2つの基準を中心にした分類では『主水死す』の主水は『江戸警察』の主水であったが、この「43歳4基準」では、『江戸警察』の主水と『主水死す』の主水は「別人」ということになる。

この「43歳基準」では、幕末の主水は1858年の日米修好通商条約締結同時で数え年43歳、その前の1853年の日米和親条約締結当時では38歳と見ていいだろう。
1853年の「仕留人」は初期「仕置人」の一種であり、一方、「仕事人」は1858年の安政の大獄のときであるから、幕末の主水が1858年で43歳としてみた。
主水が43歳だったのは『新必殺仕事人』で、主水が「仕事人」のときであり、『大老殺し』は『必殺仕事人V風雲竜虎編』の後日談で、いずれも何でも屋の加代が主水の仲間である。

「文政の主水」「天保の主水」「幕末の主水」の3基準ではシーボルト事件のときの主水が1828年で48歳、安政の大獄が始まったときの主水は1858年で58歳なので、生まれた年の差は40年になるが、この「43歳基準」の場合、シーボルト事件のときの主水は1828年で43歳、安政の大獄のときの主水は1858年で43歳で、生まれた年の差は30年になる。いずれにしろ、『春雨じゃ、悪人退治』と『大老殺し』では時代が30年離れているということだ。

なお、『旋風編』のSP版で元禄時代を扱った『必殺忠臣蔵』があるようだが、これはイレギュラーとして、普通は考察対象から除外しておく。

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2009年8/17