細かい分類による中村主水と筆頭同心・田中年齢変遷(幕末編) 

今度は『新必殺仕事人』の筆頭同心・田中着任当時で主水が43歳だったことをもとに、主水が前期裏稼業としての仕置人のあとに後期裏稼業の仕事人になった年齢を43歳にして、複数の主水の年齢変遷を設定してみる。文政、天保、幕末それぞれの時期で主水が仕事人になったと想われる時期で主水が43歳だったと假定する。

1776_┌『旋風編』の1819年で主水が43歳の場合
1777_01歳 『必殺仕事人2007』『必殺仕事人2009』の主水も含む
1778_02
1779_03
1780_04
1781_05
1782_06
1783_07
1784_08
1785_09_┌シーボルト事件のときに主水が43歳の場合
1786_10_01 『激闘編』のハレー彗星接近のときの主水も含む
1787_11_02 『オール江戸警察』の主水もこの世代か?
1788_12_03
1789_13_04
1790_14_05
1791_15_06
1792_16_07
1793_17_08
1794_18_09
1795_19_10
1796_20_11 鳥居耀蔵誕生
1797_21_12
1798_22_13_┌鳥居耀蔵が南町奉行になったときに主水が43歳の場合
1799_23_14_01 鳥居より3歳年下。『主水死す』の主水も含む
1800_24_15_02 『仕置屋稼業』の主水(天保の場合)はこちらの主水?
1801_25_16_03
1802_26_17_04
1803_27_18_05
1804_28_19_06
1805_29_20_07
1806_30_21_08
1807_31_22_09
1808_32_23_10
1809_33_24_11
1810_34_25_12
1811_35_26_13
1812_36_27_14
1813_37_28_15
1814_38_29_16
1815_39_30_17_┌安政の大獄のときに主水が43歳の場合
1816_40_31_18_01 『仕留人』の主水も含む
1817_41_32_19_02
1818_42_33_20_03
1819_43_34_21_04 主水がオランダ商館から表彰される
1820_44_35_22_05 主水が書庫番に異動
1821_45_36_23_06 主水は自身番勤務
1822_46_37_24_07
1823_47_38_25_08
1824_48_39_26_09
1825_49_40_27_10
1826_48_41_28_11
1827_49_42_29_12
1828_50_43_30_13 シーボルト事件
1829_51_44_31_14 高橋景保獄死。主水が見届け、かたき討ち
1830_52_45_32_15
1831_53_46_33_16
1832_54_47_34_17
1833_55_48_35_18
1834_56_49_36_19
1835_57_48_37_20 ハレー彗星接近
1836_58_49_38_21
1837_59_50_39_22
1838___51_40_23
1839___52_41_24
1840___53_42_25
1841___54_43_26 鳥居耀蔵が南町奉行に
1842___55_44_27 アヘン戦争終結
1843___56_45_28
1844___57_46_29 鳥居耀蔵失脚
1845___58_47_30
1846___59_48_31
1847_____49_32
1848_____50_33
1849_____51_34 葛飾北斎没
1850_____52_35
1851_____53_36 水野忠邦没
1852_____54_37
1853_____55_38 黒船来航
1854_____56_39 日米和親条約締結
1855_____57_40
1856_____58_41
1857_____59_42
1858_______43 日米修好通商条約締結。安政の大獄始まる
1859_______44
1860_______45 桜田門外の変
1861_______46
1862_______47
1863_______48 清河八郎が浪士組(浪士隊)結成
1864_______49
1865_______48
1866_______49 慶喜が将軍に
1867_______50
1868_______51 鳥羽・伏見の戦い

安政の大獄のときに主水が43歳とすると、井伊直助より1歳年下になる。
平手造酒(ひらてみき)は1844年当時30歳とすれば、やはり1815年生まれ。
└→中村主水「43歳」説を採用した場合の4種類
└→中村主水年齢変遷(43歳基準4種類、30歳以降)
└→中村主水年齢変遷(43歳基準5種類、30歳以降)