My Yahoo!

野球は9人でやるもので、水島新司もそれを強調しているが、スカウトは個人だけを観たがる傾向がある。
これが野球の矛盾だ。打たれても勝つ実力を評価すべきだろう。

 

ここで想い出すのが青雲高校時代の星飛雄馬。
梶原一騎原作『巨人の星』で星飛雄馬は1966年または67年夏の都の予選から甲子園準決勝まで、ほとんど完封が続き、ヒットは打たれても被本塁打は決勝の花形によるサヨナラHRの前にはなかった。

 

 

飛雄馬はプロ入りすると、1968年開幕第1戦で左門に打たれて以来、HRを1發浴びると戦意喪失して降板することを繰り返し、場合によっては失踪までしていた。これは左腕投手時代の終わりまで続き、是正されたのは右党首として復帰したあとである。
ライバル個人との勝負に全力投球する余り、最終的に試合に勝てばいいという意識が、左腕時代の飛雄馬に欠けていたのだろう。

 

 

もし、高校時代の飛雄馬が途中でHRを打たれながらも投げ続けて勝っていたらどうなったか。星飛雄馬のプロ入り後の降板癖もなかったのではなかろうか。

 

 

夏の甲子園決勝で飛雄馬が花形を敬遠したとき、それまで飛雄馬を高く評価していたスカウトは落胆。
アニメでは、飛雄馬が花形に打たれて敗れたあと、巨人の藤田監督は飛雄馬を評価していたようだ。

 

 

飛雄馬は花形のHRの前まで無失点記録を続けていた。そこは評価されるべきであろう。のちに花形によって飛雄馬の負傷が明らかになると巨人以外の球団が飛雄馬獲得に乗り出したことでもわかる。

 

 

しかし、飛雄馬が負傷を伴以外には秘密にして、小宮に交代しなかったのは、やはり星飛雄馬の自己中心的なところとも想える。

 

 

前後一覧
2009年8/14