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夏の甲子園、主なできごと(1958~1989年中心) 

第40回(1958年)→板東英二が記録達成
_______└→徳島商×魚津戦で、徳島商の板東投手が延長18回で25個の三振を奪う
第41回(1959年)
第42回(1960年)
第43回(1961年)
第44回(1962年)
第45回(1963年)
第46回(1964年)
第47回(1965年)
第48回(1966年)→東京代表は帝都学園で準決勝進出。優勝校は尾張高校(プロ編基準)
_______→「史実」では中京商業が優勝
第49回(1967年)→帝都は予選初日で青雲高校に敗れ、尾張高は全国大会初日で青雲に敗れる
_______→決勝で星飛雄馬と花形が対決。東京と神奈川の戦い(プロ編基準)
_______→「史実」では同じ関東勢・千葉の習志野高校が優勝
第50回(1968年)
第51回(1969年)→三沢高校と松山商業の延長再試合
第52回(1970年)
第53回(1971年)
第54回(1972年)
第55回(1973年)
第56回(1974年)→明訓四天王初出場、実際の神奈川代表は東海大相模
第57回(1975年)
第58回(1976年)
第59回(1977年)
第60回(1978年)
第61回(1979年)→明訓高校が弁慶高校に敗れ、決勝は通天閣×甲府
第62回(1980年)
第63回(1981年)
第64回(1982年)┬→『大甲子園』の明訓×青田の試合
第65回(1983年)│82年83年、または85年
第66回(1984年)│
第67回(1985年)┘→PL学園の桑田真澄、清原和博が活躍(里中の夢の中ではすでにプロ)
第68回(1986年)
第69回(1987年)
第70回(1988年)
第71回(1989年)
第71回(1989年)
第72回(1990年)
第73回(1991年)→新潟明訓高校初出場
第74回(1992年)→ラッキーゾーン撤去松井秀喜5打席連続敬遠
第75回(1993年)→『ドカベン・プロ野球編』の明訓が弁慶高校に敗れる
第76回(1994年)→『ドカベン・プロ野球編』の明訓が春夏連続V
第77回(1995年)
第78回(1996年)
第89回(1997年)
第80回(1998年)
第81回(1999年)
第82回(2000年)
第83回(2001年)
第84回(2002年)
第85回(2003年)
第86回(2004年)
第87回(2005年)
第88回(2006年)→早稲田実業×駒大苫小牧が決勝再試合
第89回(2007年)→新潟明訓高校と花巻東高校が出場
第90回(2008年)→記念すべき第90回大会、組み合わせはこれ
第91回(2009年)→8月8日スタート

 

 

 

初日第2試合は沖縄の興南(こうなん)と大分の明豊(めいほう)の対戦。興南の投手は島袋。「島袋」「知念」「桑江」「安室」は沖縄で多い名前なのだろうか。