大河『篤姫』最終回 

篤姫は長嶋茂雄(1936年早生まれ)より100歳年上である。

篤姫が没した1883年から100年さかのぼった1783年には大黒屋光太夫がロシアに漂着し、イギリスがアメリカの独立を承認していた。光太夫が没した1828年に西郷隆盛が生まれたのである。
また、篤姫没後100年たった1983年、森沢優が「クリィミーマミ」として歌手デビューし、その2年後の1985年に宮﨑あおい(Wiki)が誕生した。

堀北真希が生まれた1988年は明治121年に相当する。
高橋由美子が女優としてデビューしたのはその翌年、1989年であった(高橋由美子は1974年の早生まれで、新潟明訓出身の小林幹英と同学年、同年生まれである)。

陰暦を採用して篤姫が1835年に生まれたとすれば、篤姫は宮﨑あおいより150歳年上である。

篤姫は薩摩から江戸幕府に送られ、勝海舟と西郷隆盛の会談の際、篤姫が勝に託した「島津斉彬からに文」により、官軍による江戸城攻撃は取りやめ。「薩摩に残った薩摩人」と「江戸幕府に入った薩摩人」の戦はさけられた。

しかし、明治維新による版籍奉還(1869年、Y!辞書)、続く廃藩置県(1871年)のあと、今度は「薩摩に残った(または戻った)薩摩人」と「東京の明治政府に入った薩摩人」との間で対立が生じ、結局、戦となった。
王政復古のときにも戊辰戦争があった。

明治維新においても戦は避けられなかったのであろう。
戦争への反省というと昭和の初めの戦争だけを考える「反戦」は歴史の一部しか観ていない。

『獅子の時代』では廃藩置県の噂が流れたとき、菅原文太扮する会津武士が「明治政府の者たちが自分たちの故郷の薩長の藩をなくすわけがない」と半信半疑であった。
『翔ぶが如く』では大久保が西郷に廃藩置県を提案したとき、西郷は「それはもっとあとになってやるものと思っていた」と返答した。

廃藩置県は、喩えて言えば今の政治家が選挙区をなくして今の都道府県を廃し、道州制を採用するようなもの。それが今の政治家にできるだろうか。

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2009年8/6