『暴れん坊将軍』の吉宗はいつも城から出て町を歩いていた。
将軍がこんなに城を留守にしていては、吉宗が本当の将軍にふさわしいのか、疑問に想えてくる。
作中で吉宗は城にいるときと、町にいるときと両方が描写されているが、一体、設定上、時間的にどのくらいの比率で城内にいて、どのくらいの比率で出歩いているのだろうか。
もちろん、演出の上で描写された時間をそのまま時計ではかっても無意味である。

吉宗は将軍になりたくなかったように見える。
少なくとも、ずっと城にとどまっている将軍職は合わなかったのだろう。

これなら、むしろ、宗春にでも将軍を任せ、吉宗自身は光圀のような「副将軍」という(あってもなくてもいい便利な)肩書きで、町に常駐してもよかったのではないか。
家光から綱吉の時代には、将軍の甥または從兄弟の身でありながら、身分を隠して町に住んでいた松平長七郎という先人がいる。
吉宗も将軍をさっさと別の徳川家に譲って、自ら「松平新之助」のような将軍の親戚となったほうがよかった。その上で「徳田新之助」という別名を用意して、め組の用心棒としてずっと江戸城下に住んでいたほうが、悪人を退治するのもやりやすかっただろう。

2010年4月28日再放送の『暴れん坊将軍』第9部最終回「天下取りの野望!吉宗VS宗春、涙の対決」では吉宗と宗春が最後の対決。その2年後に宗春は失脚した。宗春失脚は1739年なので、その2年前は1737年。
宗春にとっては無念だったろう。
24年後、1761年に徳川宗睦が尾張藩主になった。
1760年に将軍は家重から家治になり、1761年に家重はこの世を去っていたが、宗睦はなぜが将軍の座を拒否していた。自分の先人である宗春の無念を晴らそうとは思わなかったのだろうか。

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2009年8/6