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2008年(4)~2009年


容器から水がもれて、いくら水を入れてもたまらない場合、まず、もれるところをふさぐのが先だ。
国の借金が多いなら、増税より無駄の削減が先だろう。
もっとも無駄を削減すると人を大量に解雇することになる。これでは人口は少ないほうがいいことになる。少子化は市場経済の結果である。

今の日本の大衆は、どんな問題でも政府が何か責任を取って金を出すべきだと言う反面、消費税値上げは反対という虫のいいことを言うところがあるようだ。
国を代表して政府がどこかに謝罪して拂う金は税金であるから、自分の国を訴えたい人は訴訟を起こすより募金でも集めたほうがいい。

霞が関の官僚が批判されているが、それならあらゆる官庁を民営化すればいいことになり、郵政民営化は正しかったことになる。

増税は昔で言えば年貢を増やした政策である。
仁徳天皇がかまどの煙が少ないのを見て、しばらく税を取るのをやめた話は有名だが、それができたということは、それまでたっぷり税を取っていたのかという声は当然出てくる。
江戸時代は文化が發展したバブル経済にような時代と、幕府が倹約を進めた改革が交互に来ている。
元禄文化(文化發展)→天保の改革(引き締め)→田沼時代(ワイロ文化發展?)→寛政の改革(引き締め)→文化・文政時代(文化發展)→天保の改革(引き締め)という具合である。

『巨人の星』でも1969年代の初め、物が豊かになってのちのバブル時代に似た風潮が出たとき、「昭和元禄」ということばが使われた。
星飛雄馬がオーロラ三人娘とボウリング大会に出演したあの時期である。一方、飛雄馬が出会った看護婦・日高美奈の話では石油や電気の普及で石炭が賣れなくなり、宮崎の村人が生活苦に追い込まれており、日本中がどこも昭和元禄でないということを飛雄馬は実感した。

なお、『ドカベン』で山田太郎が高校1年のときに対戦した福島代表いわき東高校の活躍は、いわき(磐城)市が廃坑で沈む町となるところに希望を与えるものだった。これは作中で1974年夏の大会だが、それが収録された単行本は1975年に出ており、インターネットで観るといわき市の廃坑は1976年になってから。1974年当時はその予兆があったのだろう。

江戸時代の改革のとき、吉宗、定信、忠邦は増税をしたのだろうか。
高校のとき、日本史の先生が、吉宗は幕府にとって名君だったわけで、上げ米の制など収獲量でなく過去の平均で年貢の量を決めるものだったらしく、農民にとっては負担が増えただけらしい。

吉宗がやった経費削減で有名なのは多くの美女を大量に解雇した話である。
美女であれば城を出ても生活に困らないという配慮であるが、今、人を解雇している企業はそういう配慮をしているだろうか。再就職の当てがなさそうな人が真っ先に切られるようでは、資本主義に希望はない。ベルリンの壁崩壊から20年たったが、当時は社会主義が自ら倒れただけで、資本主義の勝利ではなく、資本主義も社会主義から遅れること20年で自滅寸前に来ているようである。

関連語句
改革