『ドラえもん』ののび太が1974年に出た単行本第2巻で「昭和39年(1974年)生まれ」とされていたことは雑学または意外な話とされるかも知れないが、原作を読んでいれば自明のことである。
1964年生まれなら声優交代直前の2004年の段階で40歳。2009年で45歳であり、若田宇宙飛行士より1歳年下である。

これと正反対の理由で注目に値するのが『ドカベン』の山田太郎である。

2009年に出た『ドカベン・スーパースターズ編』第29巻に収録されている『俵と白球』では、山田太郎の生年月日が「昭和51年(1976年)5月5日生まれ」とされている。このことについても、一部の読者は以外に想ったかも知れない。
1976年当時は原作で明訓編、またアニメも鷹丘中学編からスタートした年である。
しかし、『ドカベン・スーパースターズ編』は『ドカベン・プロ野球編』の延長であり、『プロ編』の冒頭で山田が1994年度で高校3年であり、95年の春からプロ選手として活動していた山田が今のスーパースターズにいる設定なのだから、15年前の時点で山田の1976年生まれは自明であった。

『ドラえもん』の「ぼくの生まれた日」はアニメで何度かリメイクされているが、あとになるとのび太が西暦何年かわからなくなっているようだ。21世紀になってからのアニメ『ドラえもん』で時代設定が明確になるのは、相武紗季、浅田真央、若田光一宇宙飛行士のようなゲストによる描写のみである。

もし「のび太1964年生まれ」に驚く人が多いなら、それは「のび太が意外と大人」であることであり、逆に「山田太郎1976年生まれ」に驚く人が多いなら、それは「ドカベンが意外と若い」ということであろう。
では、この両者を逆にしたらどうか。

野比のび太について、西暦2009年のアニメを基準にして、生まれた年を設定しなおすと、2009年8月7日で11歳とすれば1998年生まれである。実際には今のアニメではのび太が西暦何年生まれかは触れないで、8月7日の誕生日だけを紹介するだろうが、もし、新しい『ドラえもん』のアニメでのび太が「1998年8月7日生まれ」と規定されたらどうだろうか。1998年は藤子・F・不二雄没後2年である。
西暦2012年4月以降のアニメを基準にするとのび太は2001年生まれになる。

逆に、もし、山田太郎が初期設定のままであれば、明訓高校に入ったのが1974年春であるから、1958年生まれ、原辰徳と同世代だ。『ドカベン・プロ野球編』が始まったのは1995年ごろで、94年秋のドラフトから話が始まっていたが、もし、初期設定を尊重するなら、1976年秋のドラフトから話を始め、95年当時の作品で77年のプロ野球開幕を再現して描かねばならなかった。
1974年当時16歳だった山田太郎は1994年には36歳になっていたはずだが、『プロ編』では1994年当時でも山田太郎は18歳、岩鬼正美は17歳だった。

1974年当時の設定で考えると、のび太は1964年生まれ、山田太郎は1958年生まれで、それぞれ10歳と16歳だから、山田太郎が6歳年上である。

1995年の場合、原作第1話ではのび太とジャイ子夫妻の家に借金取りが多数押しかけており、これは1970年当時10歳くらいだったのび太が10歳の場合で、それから25年後だから35歳くらい。ただし、1995年でのび太が11歳であれば1984年生まれ。『ドカベン プロ野球編』の山田太郎は1976年生まれで、1995年の誕生日で19歳であった。

1985年当時の原作『ドラえもん』と『大甲子園』で考えると、のび太は10歳とすれば1975年生まれ、山田太郎は1985年で18歳とすると1967年生まれである。山田太郎は8歳年上だ。

2004年度のアニメの『ドラえもん』と『ドカベン スーパースターズ編』で考えると、のび太は11歳とすると1993年生まれで、山田太郎は1976年生まれの28歳だったことになる。

2012年度のアニメの『ドラえもん』と『ドカベン ドリームトーナメント編』で考えると、のび太は11歳と知れば2001年生まれで、山田太郎は1976年生まれだから36歳である。
└→のび太と山田太郎の「生まれた年」の比較II


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2009年8/2