将軍家と奉行の「お忍び」(+同心の裏稼業)一覧 

このように家光の忍び旅から始まった将軍家の「身分を隠して変装」という癖は、松平長七郎と光圀に受け継がれ、吉宗、さらに治貞(はるさだ)と宗睦(むねちか)、家斉の弟・松平右近、そして家慶の弟・源九郎に行きつく。
一方、天保になると奉行が町人や素浪人に化けることが増え、榊原忠之と遠山金四郎がこの手法を採用した。
もっぱら将軍家の「お忍び」が江戸前期に、奉行のそれが後期に集中している。しかし、黒船が来て幕末になると、ほとんどそういうこともなくなったようで、以前から存在した『影の軍団』に出てくるような忍者や、『必殺仕事人』に出てくるような裏稼業が幕末になってより一層、活動を強化することとなった。

繰り返すように、西郷隆盛が倒幕を狙った幕末になると、彼らにとっては将軍家の権威は地に落ちていた。西郷隆盛にとって主君は島津斉彬であって、慶喜ではなかったようだ。

家光が忍び旅をしていたときは、柳生十兵衛が「3代将軍・徳川家光公なるぞ」と言って、周りは一度はひれ伏すが、すぐに悪党が「上様は本陣におられるはず」「こ奴は偽物だ」などと言って部下に攻撃を命じ、部下たちは家光や十兵衛、あるいはお庭番によって斬られることとなる(お庭番は江戸から京都までの旅に同行していたが、京都から江戸に戻る旅ではほとんど観られなくなったようだ)。

水戸光圀(徳川光圀)の場合、格之進が印篭を出すと、周圍の者がひれ伏した。たまにそれでも抵抗する者がいる場合があるが、そういうときも、いつも抵抗してくるのは一人くらいである。
一方、徳川吉宗の場合、「余の顔を見忘れたか」と言って将軍であることを悟らせても、悪人は「上様とてかまわん」、あるいは「こやつは上様をかたる偽者だ。斬れ、斬れ」と言って部下に攻撃を命じ、部下たちは将軍に斬りかかり、将軍に峰打ちでたたかれるか、お庭番によって斬られることになる。

つまり、光圀と比べると、家光と吉宗は将軍家としての権威が低いのか、とにかく、現役の将軍のほうが身分を明かしても悪党が斬りかかってくることが多かった。

光圀が悪人をこらしめる場合、「このことを藩侯に申し上げるゆえ、きっと厳しい沙汰があるものと覚悟いたせ」などという台詞を言うことが多い。光圀が藩主に報告し、その藩主が悪代官などに処分を下すと警告している。要するに光圀が直接裁くことはできないわけで、光圀には地方政治に介入する権限はない。完全な越権行為なのである。

『必殺仕事人』では将軍家の人間が葵の紋の威光を盾にして非道を重ねており、彼と從者2名の合計3名が中村主水、秀、畷左門(なわて~)によって暗殺された。時代設定は不明であるが、『必殺仕置屋稼業』の時代設定を天保の改革の時期とした場合、それと『仕事人アヘン戦争へ行く』の間の話とすれば1841年末から1842年までになる。
『必殺!主水死す』によると、1849年から1851年まで、家定の双子の妹が男装して「捨蔵」と名乗り、江戸にいたらしい。

前後一覧
09年7/26~29 7/29~31 8/1