『ドカベン』のアニメは1976年10月6日から1979年12月26日まで、毎週水曜日に163話放送された。第1話から最終回まで3年2箇月と20日、1箇月が4週間とすれば、ほぼ167週間。間に4回ほど、番組が休みの週があったことになる。

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└→1976年のカレンダー(10月6日放送開始。水曜はそれから12月29日まで13回)
└→1977年~
└→1978年~
└→1979年~(水曜は1月3日から12月26日まで)

第15話「おーよ!ピッチャーで四番ズラか?」では山田中3のころの王貞治のHRが描かれている。放送開始当時からの話数で数えてみるとこの第15話が放送されたのは1977年1月のあたり。
第96話「逆転!フォアマン黒い閃光」は計算上、1978年の夏ごろの放送だったようだ。この話では1977年9月3日の王貞治の756号HRによってフォアマンが来日を決意したことになっている。

さて、高2春選抜で岩鬼が眼鏡打法で打ち、「夢想花」の一節のような歌を歌ったのは第125話「スーパースター男岩鬼!一球入魂」であり、小学校で級友と話題になった。計算上、この話数では1978年の秋の放送になる。「夢想花」がヒットしたのもほぼ同時期の1978年秋であり、岩鬼がアニメでこれを歌ったとしても不思議はない。

第142話「殿馬帰る!ハイジャックずら!」は話数から計算すると1979年の夏に放送されていたことになる。成田空港は1978年開港。第142話放送当時、すでに成田空港が使われて2年目の夏であったわけだ。アニメの山田高2夏の予選の話で成田空港が使われているのは当然である。

ちなみに、『ドカベン・プロ野球編』の山田太郎は1976年(昭和51年)5月5日生まれであるから、アニメの『ドカベン』が始まった当時は生後5箇月だったわけだ。
1977年、王貞治が756号本塁打を打ったとき、『プロ野球編』の山田太郎は1歳と4箇月になろうとしていた。

アニメと内容の関連で考えると、最初の1976年の秋から年末は柔道編。
1977年は中学野球編から高校野球編初期で、高1夏の予選と甲子園を経て、おそらく山田高1秋季大会の途中までだろう。フォアマン来日の同期が王の756号だったという話はこの時期になる。
1978年はそこから関東大会、優勝旗盗難事件、土井垣と犬飼小次郎が指名されたドラフトを経て高2春選抜、江川学院の中(あたる)から土佐丸の犬神のあたりまで。「夢想花」のヒットを受けて岩鬼がそれらしい歌を歌ったのは78年秋であった。
残り1979年は渚と高代が加入して、夏の予選、夏の甲子園、弁慶高校に負けて終了であったのだろう。

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09年7月末