時代設定を歴史年表に当てはめた場合II 

また、2005年になって声優が交代したあとのアニメ版になると、のび太の両親の子供時代が初期ののび太のそれと重なってくる。ネットで再確認すると2007年放送のアニメでは、のび太の母・玉子が7歳だったときは松田聖子がデビューした直後の1980年代前半。これが1982年とすれば、ドラえもんとのび太たちが竜宮城に行って戻ってきた時期である。
すると、玉子はのび太の母親でありながら、1982年の世界に10歳ののび太と7歳の玉子が存在したことになる。

これは『ドラえもん』が一世代続いていることによるものだ。

フィクションが作り上げた時代設定を歴史年表に当てはめる作業は円道祥之(えんどうまさゆき)氏が『空想歴史読本』(1999年)でおこなっているが、『ドラえもん』については2112年のドラえもん誕生だけで、個別のタイムトラベルについてまったく触れていないし、1960年代と70年代についてはゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダーなどの特撮ヒーロー物やアニメに話が偏り過ぎていて、『巨人の星』『ドカベン』が完全に無視されている。

これはその『歴史読本』への不満を爆發させたものである。

『歴史読本』では複数の作品の空想歴史を一つにまとめることをメインにしているが、この「ものがたりの歴史」では一つ一つの作品の歴史設定を複数に分散させることをメインにしている。したがって、円道氏が悩んでいたウルトラシリーズの時代設定が放送当時か近未来かという問題も、両方想定すればすむことである。正直なところ、『歴史読本』のように1960年代から1980年までの話でウルトラシリーズの時代設定についてページを費やす意味がそれほどあるとは思えない。

フィクションが描いた話は「歴史的事実」ではないが、「歴史的事実」を主張する人たちの意見がバラバラであることはよくあることで、歴史とは所詮、認識の産物だとわかる。では、明らかに人間が作った「歴史」を考えてみることが歴史の本質を知る手がかりになるのではなかろうか。