もし、『ドラえもん』に最終回が来るとしたら、4年前の声優交代ですら半年前から報道された位であるから、今なら一般紙とネットで報道され、藤子プロによるスタッフによるコミカライズが『コロコロコミック』掲載され、テレ朝とシンエイ動画で映画の一本でもできただろう。

 

ただ、これは『ドラえもん』が絶え間なく続いていたからである。
『オバケのQ太郎』は何度もアニメ化されているが、一続きの作品ではなく、一度終わって、しばらくたって、リメイクされている。私が個人的に最初に観たアニメの『オバQ』は『新オバケのQ太郎』であり、世間でよく紹介される『オバQ』の主題歌は私の視聴したものと違い、いつも違和感を感じるものである。
『忍者ハットリくん』もアニメの前に白黒実写版があり、香取慎吾主演のカラー実写は実写としてもリメイク版である。『エースをねらえ!』も『アタックNo.1』も続編やリメイク版が作られており、『新アタックNo.1』には続編とリメイク版の両方がある。

 

『ドラえもん』の場合、リメイクは73年の日テレ版のあと、同じタイトルで79年にスタートしたものであり、最終回のあとのリメイクはその70年代後半だけである。
もし、『オバQ』や『水戸黄門』のように、テレ朝『ドラえもん』も何度も最終回を迎えながら休止を挟んで生まれ変わっていたら、最終回のあともまた復活することが約束され、声優交代も当然だったはずだ。
その場合、『ドラえもんII』『新ドラえもん』『平成ドラえもん』のようになり、各作品の最終回でドラえもんが22世紀に帰り、新しい『ドラえもん』シリーズが始まるとまた「未来の国からはるばると」のリメイクで作り直しという形になっただろう。
『宇宙戦艦ヤマト』も『必殺仕事人』もそういう終了と再生を繰り返してきた。『機動戦士ガンダム』もいわゆる「ファースト・ガンダム」(1年戦争編)で終わっていたはずである。

 

その意味では『ドラえもん』の場合、アニメでは1973年、原作では74年春に一度、最終回を迎えているのであって、そのあとの『ドラえもん』が建前上、前後に『新』も『II』もつかず、ずっと続いているのである。
もし、1979年に始まった「大山ドラ」のタイトルが『ドラえもんII』で、2005年からの「水田ドラ」が『ドラえもんIII』であれば、日テレ版の存在も人々に知られ、最近の声優交代に対する世間の反応も違っていたかも知れない。

 

よく考えたらドラえもんが野比家にいたのは少なくとものび太が小学生だったときである。中学、高校ののび太もタイムマシンやタケコプターなどを使っているようだが、ドラえもんがいたかどうか不明(のび太が10年間、無人島ですごしていたとき、ドラえもんも野比家にいた可能性があるが)。
のび太の年齢が10歳とすると3年たてば中学生。ドラえもんは3年ごとに設定がリセットされている。

 

ドラえもんは第1話で1970年1月に野比家に来訪したようである(次の「ドラえもんの大予言」が1970年2月の話)。
1970年の8月7日でのび太が10歳だったとすると、73年3月で小学校を卒業。『ドラえもん』の時代設定が不明なものは、その70年正月から73年3月までの間を何度も描いているとも解釋できるし、「竜宮城の八日間」(1982年)や「ハリーのしっぽ」(1985年)のように時代設定が明確なものもある。

 

そうなると、『ドラえもん』の世界はいくつものパラレルワールドを描きながら生まれ変わっているわけだ。最終回は必要ないし、あっても、それは一区切りであって、また新しい『ドラえもん』シリーズ続くとしても不思議はない。
そもそも、田嶋某の「電池切れ」ネタも単なるエピソードであって、別に「最終回」に値するものではない。のび太が大人になったエピソードはオリジナル『ドラえもん』にも存在する。それが出ても、またのび太の小学生時代から話を始めればいいいだけの話だ。
もちろん、田嶋某の「電池切れ」ネタは『ドラえもん』の基本から離れている意味では『ドラえもん』の名に値しないものである。
└→『ドラえもん』に「最終回」は必要かII

 

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2009年7/15 7/15~18