これもインターネットで類似したテーマが論議されている。
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バカボンのパパの行動がギャグになるのは、それが常識から逸脱していることが明確だからである。
漫画は教材ではない。

『ドラえもん』について、のび太が安易にドラえもんのポケットに頼ることは確かに問題であるが、むしろ作者はのび太のそういう性質を反面教師にすることを読者に訴えているのであろう。
実際、『ドラえもん』のギャグの本質はのび太が道具を使って失敗するところである。
一方、大長編ではのび太が大活躍をし、ドラえもんが故障したとき、スペアの四次元ポケットを使ってなおすこともしている(ドラえもんの電池切れを題材にした同人誌が本作の基本から大きくずれていることはこれで明白である)。

『巨人の星』は父親が息子を平気で殴る作品で、これは『はだしのゲン』でも同じである。
まだ、子供同士の暴力シーンであれば『ドラえもん』でも存在する。
スポーツをする上で星一徹の方法は現代に合わない。今のアスリートでは二世も多いが、ゴルフでも卓球でも親が押し付けたのでなく、むすこやむすめが自ら真似した結果である。

山中鹿之助(Y!辞書)が「我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈った話は藤子・F・不二雄が『オバケのQ太郎』(藤子不二雄Ⓐと共作)と『ドラえもん』で紹介しており、梶原一騎も『巨人の星』と『侍ジャイアンツ』で書いている。
ちなみに、宮本武蔵と佐々木小次郎の話も『ドラえもん』『巨人の星』『侍ジャイアンツ』で取り上げられているが、これは有名な逸話だから『ドラえもん』でも話題になったようで、それでも『ドラえもん』では臆病者の武蔵が自信をつけるプロセスを描き、何らかのメッセージを訴えている。
『Dr.スランプ』で描かれた武蔵と小次郎の話は完全にギャグである。

藤子・F・不二雄は『21エモン』『みきおとミキオ』で、機械文明に頼り過ぎた人間の末路を描いている。体力が衰え、簡単な暗算もできなくなった未来人が登場する。『キテレツ大百科』に至っては、進んだ文明が未来でなく過去にありながら、世の中によって握りつぶされたというもの。
白土三平の『イシミツ』でもジャガタライモを栽培したオドが「新しい良い物が發明、發見されても、世の中の仕組みが狂っていると、逆の作用をもたらす」という趣旨の警告をしていた。

ドラえもんはいつものび太に「君はすぐ、ぼくのポケットを当てにする」と言って注意をする。それでも情に負けて道具を提供してしまい、結局、道具に頼ったのび太のび太の結末は大体、あわれである。
のび太の悪いところを真似する子供がいたら、そうなるまでの家での教育が問題なのであろう。
何かに安易に頼る依存症といえば大人が観る時代劇の一つ、『水戸黄門』はどうか。
日本各地で何か問題があると、すぐ「水戸老公」に頼る考えは教育上、問題はないのか。そちらのほうが問題であろう。

関連語句
巨人の星 ドラえもん のび太 水戸黄門 忠臣蔵


補足
水島新司の『ドカベン』『野球狂の詩』等は子供の教育にふさわしいかどうかという話題では余り取り上げられない。あくまで野球をする人にとって参考になるかどうかだけが注目されている。それは漫画の方向性の違いである。


参照
山中鹿(之)介、または鹿之助?【人物】