横山泰行著『ドラえもん学』(PHP研究所)について補足 

この本が出て4年、横山氏が書いたとおり、『ドラえもん』は声優交代の「危機」を完全に乗り越えたようだ。そもそも、横山氏が危惧していた「危機」なるものは、あくまで「大山ドラファン」からの拒絶反応である。重要なのはこれから増えるであろう「水田ドラファンの声」である。「大山ドラファン」が「水田ドラファン」に移行した例もあるだろうが、それはおそらく少数派で、声優交代後に生まれた世代が「水田ドラ」になるだろう。その世代は2009年の時点で一番年上でも4歳である。
今は番組がその「水田ドラファン」を作り上げていく基礎段階である。「大山ドラ世代」からの批判などは交代直後の一時的なものであり、スタッフが「水田ドラファン」を未来に向けて作り出す上ではさしたる支障はない。

ただ、それはスタッフのほうで、長年、自分たちが育て、かつ自分たちを支えたファンを一部(または多く)切り捨てる覚悟が必要であった。確かに「大山ドラ」が2作目であっても残したものは大きかった。それはテレ朝版スタート時における「日テレ版の記憶」の比ではないかも知れない。テレ朝とシンエイ動画、そして「大山ドラ」声優陣は四半世紀かけて「大山ドラファン」を育て、テレ朝版がオリジナルであるかのように宣傳し、ドラえもんと大山のぶ代を一体化させるようなイメージを世間に浸透させてきた。それにより、前から予想された声優高齢化による交代では、声優陣もスタッフも自分たちが育てた「大山ドラファン」を捨てる覚悟が要るところまできていた。

2005年春を境にした声優交代に関して、声優交代に出くわした現役の子供が意見を言うならともかく、多くの「大山ドラファン」は声優交代の時点で大人になっている。

本来、児童漫画である『ドラえもん』は、小学校卒業と前後して読者を卒業してもいいものであり、子供でなくなった大人が子供時代のドラえもんの郷愁で『ドラえもん』を語る場合、その息の長さをほめるのはいいとして、今の作品への評価は基本的に今の子供たちにゆだねるべきであろう。
私は小学校入学前に日テレ版で『ドラえもん』に接し、小学生時代は学年雑誌と単行本だけでこの作品を「黙読」し続け、テレ朝「大山ドラ」が始まったときはすでに小学校生活も残り少なくなっていた。「大山ドラ」が映画とともに大成長した80年代以降には藤子・F・不二雄の児童漫画を読む年齢はとっくに卒業していた。『ドラえもん』はつねにそのとき、そのときの子供たち(小学6年生まで)が観るものだという認識だったわけだ。

2009年の夏となると、2005年の「水田ドラ」スタート直後に生まれた世代もすでに4歳である。「大山ドラ」は前の「富田・野沢ドラ」が終わったときに小学1年生だった世代が中学生になったあたりで始まり、さらに「大山ドラ」の4周年は1983年当時であった。今の『ドラえもん』に対する評価は、あと5年か10年たって今の子供たちが思春期を迎えるあたりで定まってくるであろう。声優だけでなくファンも否応なく世代交代する。

もし、「水田ドラ」のレギュラー陣が降板する日が来たら、そのときはさらに若い声優陣がバトンを受け継ぐだけで、もうその時期には「大山ドラ」など遥か過去のものとして忘れ去られているだろう。
「大山ドラ」が歩んだ四半世紀の間、一度は「大山ドラ」が『ドラえもん』そのものと一体化しそうになり、「ドラえもんのファン」も「大山ドラファン」と一体化したかに見えていた。しかし、『ドラえもん』は「大山ドラ」だけではないし、『ドラえもん』のファンは「大山ドラファン」だけではない。2005年の声優交代で『ドラえもん』はその原点に帰ったわけだ。

2009年はテレ朝アニメ30周年、2010年は映画『ドラえもん』30周年にして原作スタート40周年である。
『ドラえもん』は原作の連載が始まってから、有名なテレ朝版の「大山ドラ」が始まるまで9年かかっている。その「大山ドラ」が終わってから、西暦2009年では4年、2010年で5年である。
「大山ドラ」は主に80年代と70年代に黄金時代を築き上げた。「水田ドラ」は21世紀初めの『ドラえもん』である。
今、自分の中では70年代の原作の『ドラえもん』と今の「水田ドラ」が直接むすびついている。『ドラえもん』は原作がベースであり、アニメは2次的な派生作品であって、声優交代も必然である。

映画『ドラえもん・新・のび太の宇宙開拓史』のHPにある映画の感想を観ると、20代、30代の大人も書き込んでいるが、10代や10歳未満の子供も感想を書いている。中には4歳の子供も書き込んでいる(親が代筆したか、自分で文字を勉強したか)。今後、彼らが成長して『ドラえもん』を支えていくだろう。