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貨幣制度I、貨幣制度II&「円天」について


制度の産物である貨幣は、変更されてからしばらくは新旧どちらも使える時期が続くが、ある程度の年月がたつと、古すぎる貨幣は価値がなくなる。紙幣であれば「ただの紙切れ」になるが、別の意味で高額で賣れる「商品」になる可能性がある。

ドラえもんとのび太が過去(のび太の父・のび助の中学時代)にもどって絵を買おうとしたとき、時代が古くてのび太たちの使っていた貨幣がまだ通用しておらず、買えなかった話もある。
未来でも同様で、ドラえもんとのび太が未来の世界でツチノコを買おうとしたときにのび太の時代のコインが通用しなかった。また、ドラえもんがのび助(のび太の父)のボーナスを銀行に100年預けて下ろしたときにまったく違う紙幣になっていた。ドラえもんは未来における古銭としてのび太の時代の紙幣を買った。ここでドラえもんは、古銭がすごく値上がりしていたと言っていた(→2020年~21世紀末(『ドラえもん』『21エモン』『みきおとミキオ』))。

のび太は「もしもボックス」で「お金のいらない世界」を作ったことがある。しかし、物を買うときは物と一緒に金を渡され、しかも家に金があるほど貧乏。のび助は給料日に会社に給料を持っていく必要がある。「金があれば幸せ」というのも制度の産物であることがわかる。

「この絵600万円」では、のび太が小遣いでもらっていた千圓札は1950年(昭和25年)發行で、伊東博文の肖像画があったものである。
「つづきスプレー」のとき、聖徳太子が紙幣に使われていた。

『一球さん』のとき、聖徳太子は金銭の象徴であった。真田一球がバットを真正面に構え、これが聖徳太子に似ており、相手の貧乏球団の投手が怒ったことがある。
聖徳太子は一時期、日本銀行券の1000圓(伊藤博文の前)、5000圓1万圓紙幣に使われていた。
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『北斗の拳』では199X年の核戦争後の世界が描かれたが、紙幣のデザインは聖徳太子のそれだった。ケンシロウとラオウの最終戦から数年たったときは「ジュドル」という貨幣が流通していた。

空想歴史読本』によると、『トップをねらえ!』では日本が世界を統一し、貨幣単位は「ドレン」らしい。

円天問題で、貨幣制度は信用と公的制度の産物であるとはっきりした。タダほど高いものはない。ケチな人ほど損をする。安物買いの銭失い。『ドラえもん』の「未来小切手帳」の話に似ている。

「おさいふケータイ」や、さらにどこぞで宣傳していた「チャージ不要、クレジットだもん」なんてのも円天と似ているし、消費者金融も同じかも知れないな。
どこかの国でやっている「貨幣を使わない賣買」「レジの無人化」など、かえって危ない。「金を箱に入れる無人の店」は人口が少ない村で、互いが顔見知りである共同体でのみ可能である。

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09年7/3