抜き打ち検査は『水戸黄門』か

水戸黄門』の世界観は、いわば、地方政治への不信である(下注釋)。たとえ幕藩体制であっても日本各地で問題が起きると必ず首都圏から使者を派遣して極秘で監視しないと何も解決しないということだ(下注釋)。しかも場当たり的な対症療法を何度も繰り返すだけで、いつも効果は短い期間だけで、恒久的な構造改革にもなっていない。
光圀が隠居してからの10年間、綱吉も日本全国も何か起これば水戸の隠居に頼る「光圀依存症」になっていた。当然、不正を防ぐために自分たちで有効な対策は立てらない。
光圀が没してから綱吉が没するまでの9年間、国政はどうなっていたのだろうか。

 

また、これは民衆の側の「反権力が強圧権力になる」という問題点もはらんでいる。

 

「国旗・国歌法」「教育」「歴史認識」「アイヌ民族」などについて、一見、自由を主張する反権力の人たちほど、自分たちの意見を国家権力に反映させて「お上のお墨付き」で持論を通そうとする傾向があるようだ。その結果、彼らと違う意見の人たちは自由を奪われる。
法で禁止されかかっても「自轉車の3人乗り」をしたがる親は、一方で「子供を守る」ことを大義名分とする法規制に頼ろうとする。こんにゃくゼリーもネットの薬品販賣も同じことだ。

 

結局、これは『水戸黄門』を喜んで観る大衆と同じではなかろうか。代官や家老の横暴に苦しんだからといって徳川の権力にすがる以外、方法のない民衆。それが大衆の自縄自縛であることに気づかないのであろう。
かつてはそういう「反権力の権力利用」が野党や市民運動の專賣特許だったが、それが自民党にも入り込んでいるようだ。
光圀個人に頼る政治は光圀が没した時点で破綻し、徳川家や奉行所の権威は維持されていたので吉宗や遠山景元に受け継がれても、幕末の倒幕運動のころには徳川の権威の地に落ちていた。民衆がすがる「力」も一時的なものである。民主主義は政府がいろいろなことに介入しないほうがいいのに、民衆が法規制を求める形で縛られたがっている。これでは民主主義は成立しない。経済や雇用では野放しが普通なのだが。

 

前後一覧
2009年6月末 7/4前後

 

関連語句
水戸黄門 民主主義

注釋
地方政治への不信
何度も書いているが、『暴れん坊将軍』では将軍・吉宗(1684~1751)が幕臣をほとんど信用しておらず、『遠山の金さん』では奉行・遠山景元(1793~1855)が与力や同心、岡っ引きをほとんど信用していない。そこでいつも将軍や奉行自ら忍びで町を歩いて捜索していた。

 

常に首都圏から使者を極秘に派遣
光圀の旅が水戸藩の他藩への干渉なのか、幕府による正式な地方視察なのか、光圀個人の私的な旅行かはっきりしない。通行手形には「越後のちりめん問屋隠居光右衛門」(推定)のような偽名と嘘の身分が書かれてあったであろうから、一種の公文書偽造であり、光圀が訪れた関所の役人はおそらくは徳川家作成による嘘の情報を信じ込まされていたことになる。光圀主從の旅費その他は水戸藩の負担か、あるいは幕府からの補助であろう。持ち運べる小判は限りがあるから各地の両替屋(銀行)に振り込まれていたはずだ。
のちの吉宗、景元の隠密行動も含め、もし、こんなことが現実の歴史、社会で横行していたら、「税金の無駄遣い」の疑惑が生じるのは間違いない。

参照
時代劇(2009年6月16日~)