昭和30年代、昭和40年代、昭和50年代、昭和60年代
昭和50年代
1975――昭和50 長嶋巨人最下位、星飛雄馬が巨人復帰を決意
1976――昭和51 右腕投手として星飛雄馬が巨人に復帰
1977――昭和52 王貞治756号本塁打
1978――昭和53 ヤクルトV。星一徹死去。明子出産。江川事件
1979――昭和54 星飛雄馬が現役引退して巨人二軍コーチに。水木炎が巨人入団
――――――― 明訓敗れる
1980――昭和55 長嶋監督退任。王貞治が引退し助監督に
1981――昭和56
1982――昭和57 ドラえもんとのび太たちが竜宮城から帰還
――――――― のび太の母・玉子(当時7歳)が松田聖子のサイン会に駆けつける
1983――昭和58 クリィミーマミがデビュー
1984――昭和59 クリィミーマミが最後のコンサート
昭和50年代
1975――昭和50 長嶋巨人最下位、星飛雄馬が巨人復帰を決意
1976――昭和51 右腕投手として星飛雄馬が巨人に復帰
1977――昭和52 王貞治756号本塁打
1978――昭和53 ヤクルトV。星一徹死去。明子出産。江川事件
1979――昭和54 星飛雄馬が現役引退して巨人二軍コーチに。水木炎が巨人入団
――――――― 明訓敗れる
1980――昭和55 長嶋監督退任。王貞治が引退し助監督に
1981――昭和56
1982――昭和57 ドラえもんとのび太たちが竜宮城から帰還
――――――― のび太の母・玉子(当時7歳)が松田聖子のサイン会に駆けつける
1983――昭和58 クリィミーマミがデビュー
1984――昭和59 クリィミーマミが最後のコンサート
『新巨人の星』と『ドカベン』『大甲子園』の時代に入る。1976年に城島健司が生まれているが、『ドカベン・プロ野球編』の山田は彼と同世代、1976年生まれになる。明訓編の流れでは山田は1974年に明訓に入り、弁慶高校に敗れた高2の夏が1979年であった。
1978年に成田空港と横浜球場が使われるようになり、大洋のホーム球場が川崎から横浜に変更。ライオンズは太平洋からクラウンライターになっていたが、1979年から埼玉に移り、その後10年、プロ野球は広島と関東の間に集中することとなる。
1978年に成田空港と横浜球場が使われるようになり、大洋のホーム球場が川崎から横浜に変更。ライオンズは太平洋からクラウンライターになっていたが、1979年から埼玉に移り、その後10年、プロ野球は広島と関東の間に集中することとなる。
前半(1970年代後半)でウルトラシリーズと仮面ライダーシリーズも一休みし、半ば(1980年前後)でリバイバルブームが起きる。
歌謡界では山口百恵、キャンディーズ、ピンクレディーに続き、1980年(昭和55年)に松田聖子がデビュー、さらに昭和57年(1982年)以降に80年代を代表する歌手が出現する。チェッカーズと尾崎豊は83年デビュー、吉川晃司は84年デビューで、アマチュアバンド出身の歌手やグループが続出した。
一方、安室奈美恵(1977~)、浜崎あゆみ(1978~)、持田香織
前後一覧
2009年6/29前後
2009年6/29前後