1999年、ジャイアント馬場が没したときはスポーツ紙で「三沢が継ぐ」という見出しがあったと想う。
三沢は2代目タイガーマスクであった。

 

現実のタイガーマスクは1981年からの佐山タイガーが初代で、時期的には『タイガーマスク二世』と連動していた。佐山選手は漫画版『タイガーマスク』(原作:梶原一騎、作画:辻なおき)の文庫版第1巻に巻末コメントを寄せている。
『欽どこ』でマスクを取ったのはこの佐山選手のようである。

 

三沢選手は、言わば現実のレスラーとしての「タイガーマスク二世」で、1984年に継承したらしい。
三沢光晴は1962年6月18日生まれ。

 

ジャンボ鶴田の例もあり、マットで戦う男は短命なのだろうか。
原作『タイガーマスク』の伊達直人と重なるように想える(原作の伊達直人は交通事故で没した)。

 

三沢選手は1962年生まれ。私よりは年上であるがさすがに若い。
漫画の『タイガーマスク』の冒頭、伊達直人が悪役だったころのタイガーマスクとしてマット界で大暴れしていたのは1967年。

 

格闘家にとって「リングで死ぬのは本望」であるが、同時に「そう簡単にリングで死んでたまるか」という自負もあるはず。得意の受け身ができずに敗れて最期となった三沢選手の場合、同業者から見れば「本望だろう」「無念だったろう」の両方の見方があるだろう。
星飛雄馬は右投手時代、1976年の日本シリーズで阪急打線から猛スピードのピッチャー返しを続けて受け、長嶋監督から交代を命じられても続投を志願。長嶋監督が「この日本シリーズがおまえの墓場になるぞ!」と言ったとき、飛雄馬は「本望ですがそうはさせません!」と応えた(文庫第3巻223ページ)。そういうものだろう。

 

アニメの『タイガーマスク』で伊達直人は生きのびたが、虎の穴がさしむける刺客は明らかに暗殺を目的としており、もはや格闘技でなく殺し合いであった。アニメでも直人の仲間であった大門がそれで犠牲になった。
むしろ、最後の対戦相手となったレスラーの立場を考えると、『あしたのジョー』の力石と矢吹丈の関係に似ている。力石を失ったジョーはしばらく、リングから離れていた。

 

漫画のタイガーマスクは孤児院を支援する青年・伊達直人の物語でもあった。実在のタイガーマスクはレスラーとしての側面を前面に出したものであろう。

 

『報道ステーション』はレスリングの中継を長く勤めた古舘伊知郎がキャスターをつとめているが、6月15日の放送では三沢の件に触れていなかった。
2009年6月21日、TBS『サンデーモーニング』のスポーツコーナーでは三沢選手のことをまったく取り上げなかった。日テレの裏番組『THEサンデーNEXT』でどうだったか不明。こんなことだからみんな、テレビを観なくなるのだろう。

 

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2009年6/14

 

関連語句
2009-06-18 04:50:16
 
2009-06-19 14:15:40
 
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プロレスにおけるリング禍は、その競技の特性上などからマットという表現が用いられることも多い。