個人的にはどちらも『新』のほうを先に観て、それから無印の再放送を観た。『新仕置人』は所見の際、すでに再放送であった。

2007年8月7日だったと想うが、京本政樹が『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出たとき、『必殺仕事人』のパチンコのポスターを持ってきた。

ここで京本政樹がポスターの写真にある坊主頭の念仏の鉄(すなわち、山崎努)を指さして誰かわかるか訊いたところ、タモリはまったく知らず、会場の客も知らないようだった。そこで京本政樹は「山崎努さんです。30年前です。本当は仕置人なんですけどね」と初歩的な説明をしていた。

「30年前」というのは放送当時から見ると1977年であるが、それは『必殺からくり人・血風編』のあとに『新必殺仕置人』が始まり、そのあとに『新必殺からくり人』が続いた時期であった。
最初の『必殺仕置人』は1973年の作品で、2007年当時から34年前。

タモリは鉄道や料理などでは博識だが、こういう世代間で違いのある娯楽関係については、知識に限界があるようだ。

『必殺仕置人』『必殺仕事人』は必殺シリーズの代名詞となっているが、意外とそのタイトルがついた最初の作品は、知る人が少数派になっているのだろう。
最近、伊吹吾郎がNHK『スタジオパーク』に出ていて、『無用ノ介』と『水戸黄門』が紹介されていたが、伊吹吾郎が『必殺仕事人』に出ていたことは、もう、ほとんど話題にされなくなっている。
一方、『スーパーモーニング』では三田村邦彦がインタビューに応えた様子が放送されていた。

主水が「仕置人」から「仕事人」になった時期は、時代設定で考えると文政では1818年から1819年まで、天保初期では1830年ごろ、後期では1842年、幕末では1854年から1858年までの安政年間と思われる。

文政
1818 主水が鉄、錠たちと組む(『仕置人』)
1819 主水が政、銀平たちと組む(『仕事人V旋風編』)

天保初期
1830 この前後、天保初期の主水が裏稼業を開始?(『主水死す』における20年前?) 
1835 主水が政、竜たちと組む(『仕事人V激闘編』)

天保後期
1841 ┐鳥居耀蔵が南町奉行に
1842 ┴主水が北町から南町奉行所に異動(『仕置屋』)
1842 主水が秀、勇次たちと組む(『仕事人アヘン戦争へ行く』)

幕末
1854年 糸井貢殉職。大吉、おきんが江戸を去る(『仕留人』)
1858年 主水が政、影太郎、加代と組む(『大老殺し』)

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2009年6/14