小林よしのりは1953年生まれで、誕生日は夏休み最終日らしい。
『巨人の星』プロ野球編の星飛雄馬(1951~)より2歳年下。また、番場蛮や藤村甲子園(1954~)より1歳年上になる。
彼が小学生だったのは1960年から1966年まで。成人に達したのは1973年であった。小林よしのりは野球漫画でいえば福本和也の『黒い秘密兵器』(1963~65年)と梶原一騎の『巨人の星』を観て育った世代のようである(『挑戦的平和論・下』巻末「漫画論」)。『巨人の星』連載スタート当時、彼は中学生だったわけだ。

 

彼は藤子作品については『オバケのQ太郎』(1964年~)と『パーマン』(1966年~)をよく読んだ世代で、オバQが洋物のオバケだと述べている。しかし、『ドラえもん』(1970年~)については世代的に合わないらしく、よく知らないようだ。
1970年正月の『ドラえもん』の連載開始当時、小林氏は高校1年の3学期だったはずで、もう児童漫画を読む年齢ではなくなっていたわけであろう。
私個人は、小林よしのりといえば『東大一直線』(1976年~)のイメージで、東大通が主人公の漫画を子供のころに読んだが、10年たった『おぼっちゃまくん』(1986年~)のときはすでに子供向けの漫画を読む年代を過ぎていたので、「茶魔語」がメディアで話題になったのは覚えていても、作品についてはピンと来ない。それと同じか。

 

時代設定
さて、時代設定で言うと、東大通が受験生だった当時、總理大臣は福田赳夫であり、ピンクレディーの曲(「UFO」など)が大ヒットしていた時期のようである。福田赳夫が總理大臣だったのは1976年から78年まで。
ちなみに、『ドラえもん』のてんコミ第10巻「ニセ宇宙人」(Wiki)では最初に観たとき、首相が三木首相だったと想う。
太平首相は『ゲームセンターあらし』において石野あらしにゲーム対決を挑んだ覆面の「日本一偉い人」として登場しており、口癖が「アーウー」であった。

 

以前、『おぼっちゃまくん』の単行本を床屋で観たことがあるが、各話の合間に当時のよしりん企画の様子を描いた四コマ漫画があり、これが『ゴー宣』の原型に見える。これは文庫では割愛されているようだ。
おぼっちゃまは1986年に日本レコード大賞に立候補したことがあり、実際に司会者によって軽く紹介はされたが、受賞には至っていないようだ。
当初、『おぼっちゃまくん』の冒頭の解説またはナレーションで茶魔が当主であると紹介されていて、作中では茶魔はまだ子供で、家を継いでいない。この点は『わしズム』でリメイク版が出たときに修正され、作者またはスタッフによって言及されていた。しかし、茶魔が大人になって家を継いだ時代から見て、その当主・茶魔の子供時代を振り返った壮大な「回想シーン」がそのまま本編であったとも解釋できる。
└→特撮ドラマ、アニメとパチンコについて

 

平成24年tw

/小林よしのりが藤子・F・不二雄について語っているのは「ゴーマニズム宣言」の何巻にありますか?... - Yahoo!知恵袋/

/午後7:36 · 2012年12月13日/

 

「おぼっちゃまくん」の原作は1986年スタートらしいので連載8年だったのは1993年(7年後)か94年(8年後)当時。後で単行本を見て確認したい。

/午後7:37 · 2012年12月13日/

 

平成28年tw

一時期「わしズム」で復活したことがあった。わしは個人的に「東大一直線」を読んだ世代。 

おぼっちゃまくん>完全新作で復活 7月に描き下ろしマンガ(まんたんウェブ) - Yahoo!ニュース

/午前9:06 · 2016年3月15日/

 

/@kyojitsurekishi/

「無知との遭遇」の回によると東大通が受験生だった当時の総理大臣は福田赳夫であり(福田赳夫が首相だったのは1976~78年)。また、ピンクレディーの「UFO」がヒットしていたようである。 おぼっちゃまは1986年に日本レコード大賞を狙い、司会者によって紹介はされたが、受賞には至っていないようだ。

/午前0:31 · 2022年4月28日/