どちらも山田世代高1秋の関東大会での話。土井垣が監督になった直後。

 

 

時代設定を考えると、作中では山田世代高1夏の甲子園が74年、山田にとって徳川監督時代の最後にあたる秋季大会直前では野村克也プロ22年目にあたる75年で、関東大会優勝のあとに土井垣監督がドラフトで指名され、翌年の夏に弁慶高校に負けたのが79年夏なので、ここでの明訓×甲府の試合は75年から78年まで。
なお、『プロ野球編』の設定では92年秋である。

 

 

 

1974年夏 山田世代高1夏の甲子園で明訓V
1975年秋 野村克也プロ22年目。高1の秋季大会を前に山田が里中に逆療法をさせる
1975年┐ 
1976年│ 山田高1秋の関東大会で明訓×甲府。試合終了後、山田記憶喪失
1977年│
1978年┘
1978年秋? 山田高1。ドラフトで日ハムが土井垣を、南海が犬飼小次郎を指名
1979年夏 山田高2。小次郎が南海に、土井垣が日ハムに入団

 

 

 

この明訓×甲府の試合で、賀間はバントから強引に本塁打にする打法を使った(少チャンC第23巻巻末)。よく見ると、ボールが近づいたところで賀間はバットを少し引いてからヒッティングしている。
これはバスターに近い。
『巨人の星』で言えば、オズマが大LB1号を打った見えないスイングによる打法に近い。

 

 

 

一方、殿馬はバットの先で打つ「秘打・黒田節」を使った(少チャンC第24巻)。
ここで殿馬はボールの下を叩き、打球は賀間の手前に落ち、逆方向に跳ね返った。
もし、星飛雄馬が大LB1号を投げようとして、打者が殿馬で「秘打・黒田節」の構えだったらどうするか。ボールをカーブさせて横から当てるか。それを殿馬が狙っていたら打たれただろう。

 

 

 

結局、賀間と殿馬には大LB1号は通用しない。
この試合のあとの明訓とクリーンハイスクールの延長戦で、殿馬が使った「秘打・G線上のアリア」は完全なプッシュバントであった。

参照
『ドカベン』(2009年6月)