山田世代がいたときの明訓高校、監督別オーダー 

山田世代がいた明訓高校の黄金時代は、一番サード岩鬼、二番セカンド殿馬、四番キャッチャー山田、五番レフト微笑、ピッチャー里中」という布陣であり、徳川明訓末期(微笑が轉校してきた山田世代高1秋)から土井垣明訓を経て、太平監督時代の山田世代高3の夏まで続いた。

 

 

では、プロ野球ではどうか。
1995年から2003年までは、山田は西武、岩鬼はダイエー、殿馬はオリックス、里中は千葉ロッテ、微笑は巨人、そして土井垣は日本ハムであり、明訓黄金時代のオーダーがプロで再現されるとしたらオールスターのときということになる。しかも微笑だけはセ・リーグなので別になる。
1995年のオールスターでは、パ・リーグの一番の岩鬼と二番の殿馬が明訓OBで続き、二番の殿馬と三番のイチローが当時のオリックスの選手同士で続いた。山田は清原に次ぐ五番(明訓で土井垣が現役選手だったころと同じ)。四番と五番で当時の西武の選手が続いた(全パ・リーグ監督は西武の東尾監督)。
場所は横浜球場。『大甲子園』で山田と不知火が夏の予選を戦った場所である。

 

 

 

5岩鬼(ダ)
4殿馬(オ)
9イチロー(オ)
3清原(西)・・・四番打者
2山田(西)
8秋山(当時ダイエーの秋山幸二か
7佐々木(西武の佐々木誠か
6田中(日本ハムの田中賢介か
DH中村紀(近)/P不知火(日)

 

 

 

セ・リーグでは微笑が五番で、松井秀喜が四番なので、巨人の選手が続いた(監督は長嶋茂雄)。

 

 

 

6野村(広島の野村謙二郎か
4立浪(中日の立浪和義か
5江藤(広島の江藤智か
9松井秀(巨)
7微笑(巨)
(以下略)
セ・リーグの投手は横浜ベイスターズの土門が先發。山田との対戦では谷繁と交代で微笑がマスクをかぶり、念願の土門と微笑のバッテリーが実現。
パ・リーグの投手として里中が登板したときは、2塁が殿馬、3塁が岩鬼、捕手が山田で、明訓時代の再現となった。

 

 

 

次は明訓5人衆と土井垣、山岡が参加した東京スーパースターズである。2008年秋、四国アイアンドッグスとのクライマックスシリーズ第1戦では以下のような先發メンバーであった。

 

 

 

5岩鬼
4殿馬
7微笑
2山田
3星王(出身校;りんご園)
DH土井垣/P里中
8義経(弁慶)
9山岡
6サル(球団成立時に入団)
└→もしも山田太郎が西武にいたときに「侍ジャパン」が結成されていたら

 

 

 

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2009年6/5