江戸時代は文化が盛んになると、消費が過剰になるのか、幕府が改革をして引き締めをはかり、その改革者が政治の座から去ると、また庶民が窮屈さから解放されたのか文化を育て、また幕政が改革で引き締めをはかる…ということが繰り返されていたようだ。
【大改革】将軍家康の時代:江戸幕府成立
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【文化發展】将軍綱吉の時代:元禄文化
└→『水戸黄門』と『忠臣蔵』の時代。
└→『巨人の星』では「昭和元禄」ということばが出てきた(時代は1969年正月~2月)。
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【改革】将軍吉宗の時代:享保の改革
└→吉宗が大奥の女を大量に解雇したことは有名。漫画版『仕掛人藤枝梅安』「梅安荒梅雨」では吉宗の孫・松平定信がやったことになっている。
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【文化發展】将軍家治の時代:田沼時代
└→杉田玄白、平賀源内らの時代で、科学、文化が發達。国外では産業革命の時代。
└→賄賂が横行したようで、それを改める意味で白河藩の養子だった松平定信が登場した。
└→当時の狂歌「田や沼やよごれた御代を改めて清らにすめる白河の水」。
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【改革】将軍家斉の前期:松平定信(吉宗の孫)の寛政の改革
└→漫画版『梅安荒梅雨』によると、定信が改革を始めたとき、幕府の財政は破綻状態。
└→当時の狂歌「田や沼の清きに魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」(日本書籍『中学社会・歴史的分野』1980年)。
└→寛政の改革の途中に欧洲でフランス革命。
└→改革終了と前後して、本居宣長の『古事記傳』が出た。
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【文化發展】将軍家斉の後期:文化・文政時代の化政文化
└→吉宗が洋書の輸入禁止を緩めたことによって發展した蘭学が、体制批判になり、次第に幕府が引き締めに入る。
└→文政末期にシーボルト事件(1828~1819年、文政11~12年)、天保に入って大塩平八郎の乱(1837年=天保8年)まで。大塩平八郎は陽明学を学んでいた。
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【改革】将軍家慶の時代:水野忠邦と鳥居耀蔵が天保の改革
└→大塩の乱、蛮社の獄(1839年=天保10年)のあとに天保の改革で、締め付けが強化される。
└→忠邦が没して2年たった1853年に黒船が来航した。家定の時代に移る。
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(【文化發展?】)将軍家定の時代:黒船来航
└→海外の文化を学ぶ機運が盛んになったことだろう。
【改革】将軍家定の時代:阿部正弘が安政の改革(1853~1856年)
【改革否定?】将軍家茂の時代:井伊直弼による安政の大獄
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【大改革】将軍慶喜の時代:大政奉還
└→当然、これが王政復古、明治維新につながる。
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【文化發展】将軍綱吉の時代:元禄文化
└→『水戸黄門』と『忠臣蔵』の時代。
└→『巨人の星』では「昭和元禄」ということばが出てきた(時代は1969年正月~2月)。
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【改革】将軍吉宗の時代:享保の改革
└→吉宗が大奥の女を大量に解雇したことは有名。漫画版『仕掛人藤枝梅安』「梅安荒梅雨」では吉宗の孫・松平定信がやったことになっている。
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【文化發展】将軍家治の時代:田沼時代
└→杉田玄白、平賀源内らの時代で、科学、文化が發達。国外では産業革命の時代。
└→賄賂が横行したようで、それを改める意味で白河藩の養子だった松平定信が登場した。
└→当時の狂歌「田や沼やよごれた御代を改めて清らにすめる白河の水」。
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【改革】将軍家斉の前期:松平定信(吉宗の孫)の寛政の改革
└→漫画版『梅安荒梅雨』によると、定信が改革を始めたとき、幕府の財政は破綻状態。
└→当時の狂歌「田や沼の清きに魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」(日本書籍『中学社会・歴史的分野』1980年)。
└→寛政の改革の途中に欧洲でフランス革命。
└→改革終了と前後して、本居宣長の『古事記傳』が出た。
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【文化發展】将軍家斉の後期:文化・文政時代の化政文化
└→吉宗が洋書の輸入禁止を緩めたことによって發展した蘭学が、体制批判になり、次第に幕府が引き締めに入る。
└→文政末期にシーボルト事件(1828~1819年、文政11~12年)、天保に入って大塩平八郎の乱(1837年=天保8年)まで。大塩平八郎は陽明学を学んでいた。
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【改革】将軍家慶の時代:水野忠邦と鳥居耀蔵が天保の改革
└→大塩の乱、蛮社の獄(1839年=天保10年)のあとに天保の改革で、締め付けが強化される。
└→忠邦が没して2年たった1853年に黒船が来航した。家定の時代に移る。
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(【文化發展?】)将軍家定の時代:黒船来航
└→海外の文化を学ぶ機運が盛んになったことだろう。
【改革】将軍家定の時代:阿部正弘が安政の改革(1853~1856年)
【改革否定?】将軍家茂の時代:井伊直弼による安政の大獄
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【大改革】将軍慶喜の時代:大政奉還
└→当然、これが王政復古、明治維新につながる。
享保、寛政、天保の改革は幕府財政が苦しくなったので倹約をすすめる意味あいが強かっただろう。もっとも天保の改革はシーボルト事件、大塩の乱、蛮社の獄のあとで、政府による引き締め策に近い。
井伊直弼の安政の大獄は阿部の改革路線(安政の改革)を否定したものだったらしいが、井伊直弼の安政の大獄のほうが天保の改革に近いか。
鳥居耀蔵と井伊直弼は、両方とも「中村主水」によって暗殺されている(だが、天保時代の中村主水と幕末の中村主水は別人と解釋するほうが適切である)。
井伊直弼の安政の大獄は阿部の改革路線(安政の改革)を否定したものだったらしいが、井伊直弼の安政の大獄のほうが天保の改革に近いか。
鳥居耀蔵と井伊直弼は、両方とも「中村主水」によって暗殺されている(だが、天保時代の中村主水と幕末の中村主水は別人と解釋するほうが適切である)。