明訓敗戦前後の日程検証I 

夏の甲子園準々決勝の日、徳川監督が古巣・明訓高校野球部を訪れ岩鬼にノック。徳川監督は東郷学園の監督になっていることが判明。
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1979年 夏 甲子園 準決勝 8月 で検索

 

準々決勝で甲子園で甲府学院が三浦商を破り、ベスト4進出。

 

次に8月19日、日ハムと南海のナイトゲームのシーン。『週刊プロ野球』では青森県営球場だったが、『ドカベン』では後楽園球場。この試合で土井垣が初HR。

 

それを報じる新聞で過去の初打関HRの記録があり、1979年(昭和54年)4月11日の中井康之(~やすゆき、Wiki)のHRまで13名の記録が載っていた。その日は準決勝で、ベスト4が激突。これは甲府と通天閣の決勝の前日であろう。
?×通天閣=甲府学院×都城という組み合わせ。

 

6回戦で日ハムは3勝3敗。5対4で日ハム勝利。勝利投手・佐伯は15勝10敗5S。敗戦投手・金城は9勝2敗15S。この試合でのHRは門田25号(佐伯から)、柏原18号(佐々木から)、片平20号(佐伯から)、土井垣1号(村上から)であった。
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日本ハム 南海ホークス 門田 佐伯 柏原 佐々木 片平 で検索

 

土井垣は7月11日生まれで、1979年8月19日で19歳とすると、この第41巻の時点で土井垣は1960年生まれ。北、山岡、石毛の学年は1961年4/2~1962年4/1生まれ。山田は1962年5月5日生まれ、岩鬼は1963年4月1日生まれになる。

 

甲府と通天閣の決勝の日。1979年夏の大会であれば、決勝は8月21日。通天閣の優勝が決まったとき、大平教諭が監督になることが判明。
おそらく翌日、キャプテンが岩鬼に決定。

 

『水原勇気0勝3敗11S』によると、北満男は1976年月3月15日に東大に合格したとあるが、これは山田世代が1974年春に明訓に入ったことを基準にしたもので、その場合、1976年の春で山田たちは高2から高3に進級したことになる。北は山田より1年先輩である。
作中では山田世代高2夏で1979年であるから、北満男の大学受験は1980年春以降になる。また、『プロ野球編』の設定では北の高校卒業は1994年3月になる。
また、『プロ編』の設定では1976年5月5日に山田太郎が生まれたことになる。

 

追加
明訓が敗れたときの土井垣は1960年7月生まれ。『ドラえもん』のてんコミ第1巻第1話ののび太は1960年8月生まれなので、この土井垣と同学年である。つまり、のび太は1979年3月で大学受験、土井垣はそのとき、明訓を卒業したあと、監督として春の選抜に臨んでいた。逆算すると、土井垣の小学校入学は1967年4月。
なお、『水原勇気0勝3敗11S』では土井垣は1963年4月に小学校に入学したことになっている。

 

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2009年6/30