『週刊プロ野球セ・パ60年』(「1975年」と「1979年」について)
『水原勇気0勝3敗11S』
『ドカベン』少チャンC第40巻、41巻
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豊福きこう氏は『水原勇気0勝3敗11S』で明訓が弁慶に敗れた山田世代高2夏の甲子園を1975年の大会としているが、作中のプロ野球などの描写から見ると1979年夏、そして『ドカベン・プロ野球編』以降の設定では1993年夏になる。
1975年の夏の甲子園は第57回(Wiki)、79年の場合は第61回大会(Wiki)である。
Y!Japan
1979年 夏 甲子園 日程 で検索

 

 

 

明訓×弁慶戦は7日目第4試合。試合終了は午後6時15分。豊福氏は『水原勇気0勝3敗11S』で1975年8月14日としている。
1975年夏の甲子園は1975年8月8日から24日までなので、7日目は8月14日。
1979年夏の甲子園は1979年8月8日から21日までで、やはり、7日目は8月14日。
犬飼小次郎が南海ホークスに入団。

 

 

 

明訓が敗れた試合の翌日、明訓高校で岩鬼が「あのシーンをもう一度」の放送。
それと前後して土井垣が日ハムの試合のあった球場のベンチを訪れ、大沢監督に入団を宣言。
某日、日ハムと南海の試合。日ハムは5位(第40巻巻末)。
通天閣と弁慶の試合のとき、太平教諭(のちの明訓監督)が花巻驛の「仙台・上野方面」から関東へ向けて急行列車に乗る(第41巻冒頭)。「盛岡・青森方面」行きの列車には武蔵坊が乗っていた。その日の試合で弁慶高校は敗れる。太平が乗っていた急行は東北新幹線(Wiki)ではない。

 

 

 

日本ハムと南海の3連戦初日が甲子園ベスト4(決定)の日、準々決勝の日であった。

 

 

 

1975年のパ・リーグ
8/17 南海×日ハム(大阪)
8/18 なし
8/20 日ハム×太平洋(後楽園)
__ 南海×近鉄(大阪)

 

 

 

1979年のパ・リーグ
8/18 日ハム×南海(2試合、弘前公園→弘前は「ひろさき」であろう)
8/19 日ハム×南海(2試合、青森県営)
8/20 日ハム×ロッテ
__ 阪急×南海

 

 

 

こうして比較すると、土井垣が日ハムに入ったのは1975年でなく79年の夏と見るのがふさわしい。
└→明訓敗戦前後の日程検証II

 

 

 

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2009年6/3