2005年――『1リットルの涙』『ドラえもん』 

同人誌の「最終回」
2007年に問題になった田嶋某の同人誌(下注釋)は、絵がオリジナルとそっくりではあるが、内容は事前に週刊誌で活字で紹介された「噂」だったもので、まったく新鮮味がなく、しかも「のび太が出木杉以上に猛勉強して博士になる」というのは『ドラえもん』の世界観と合っていない。似たような話は本物の『ドラえもん』にあり、そこではのび太は勉強ではなく「友情」でドラえもんをよみがえらせている(「走れのび太!ロボット裁判所」)。
ドラえもんが故障してのび太がスモールライトで小さくなり、ドラえもんの体内に入って修理しようとしたこともある(てんコミ45「ドラえもんが重病に?」)。

また、オリジナルである藤子プロ・小学館版の作中で明らかになっている「ドラえもんを作った博士」も田嶋版同人誌では「不明」になっており、藤子プロ・小学館ではたとえドラえもんが気絶しても四次元ポケットは使えるはずなのに田嶋版では使えなくなるなど、部外者が勝手に作った話ならではの矛盾と缺陥が多い。

それで、田嶋氏は藤子プロ・小学館のてんコミ1冊(税込み410圓ほど)より100年近い高い500圓という値段で田嶋版同人誌販賣して、多額の収益を得ていたのであるから、小学館が抗議したのは当然である。
田嶋氏は藤子・F氏の絵そっくりに『ドラえもん』を描く画力はあるのだから、その気になれば藤子プロのスタッフになって大長編のコミカライズでも担当することもできたはずだが、彼自身のオリジナルでもない「世間の噂の最終回」を「同人誌」にして商賣する方向に手を出したのは、まことに失敗であった。

田嶋版の表紙には「田嶋・T・安恵」とあって、藤子・F・不二雄の名も小学館の名もないが、「同人誌」とも書かれていない。それで、絵はそっくりであるから同人誌であることを隠そうとしている意図は明白である。しかも本物を出してい出版社に無断で有料で販賣していたのだから、商賣目的であることは明白。それで摘發されたあとになって、假にこの田嶋氏が「同人誌だから」という言いわけを言ったところで通用しない。
「純粋なファンによる同人誌」であれば、最初から表紙に「同人誌」と大きく書いて、無料配布すればよかった。

もっとも、こんな偽物を買うほうにも責任がある。
もし、本当の最終回であれば、まず、同人誌という形で出るはずがなく、『コロコロコミック』にでも大長編として掲載されて、テレ朝とシンエイ動画による映画になり、テレビでは特番になるはずだ。それがない以上、偽物であることは明白である。

田嶋版は事件發覚後、400圓より安い写真週刊誌で縮小掲載された。これを読めば、わざわざ500圓も拂って読む必要はない。オリジナルのてんコミ1冊が410圓として、田嶋版は1冊500圓だから、田嶋版がなければ偽物8冊分の金4000圓に100圓を足して本物10冊が買えたわけだ。
同人誌とわかって買った人もいるだろうが、それは中国で日本製品の安い偽物だと承知して買う日本人もいるのと同じである。また、本物と勘違いして買った人も多いだろうから、これが万単位の金額になれば小学館も黙っていられなかったのは当然。著作権法違反であれば警察がそのすべてを取り締まるが普通であり、一部、容認しているとしたら、そのほうが賛否はともかく不思議である。

現在では、まだ、インターネットでただで観られるようで、もう田嶋氏がこれで商賣することはできなくなっただろう。GoogleYouTube で「ドラえもん」+「最終回」または「DORAEMON FINAL」などで検索すると出るだろう。
└→『ドラえもん』の同人誌、漫画と著作権について補足

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2009年6/3

関連語句
ドラえもん 同人誌 最終回 セワシ


注釋
2007年に問題になった田嶋某の同人誌
同人誌そのものは2005年に出たらしい。同人誌版ではのび太の「少年時代」とのび太が大人になった「近未来」の二つの時代がメインで、近未来は少年時代から「35年後」という設定で、源静香はのび太の妻であり、出木杉は総理大臣になっていた。漫画ののび太が10歳とすると35年後は45歳である。
この「35年後」が同人誌の出た2005年当時と假定すると、2005年から35年さかのぼれば1970年。のび太の少年時代はこの時期になるが、てんコミ第1巻第1話でドラえもんがのび太の家に常駐を始めたのはこの1970年の正月である。したがって、同人誌で描かれた「電池切れ」は早くても西暦1970年新春以降か、遅くても翌1971年までの話。すると、ドラえもんが20世紀の野比家に常駐を始めてから、同人誌で描かれた「電池切れ」まで、わずか1年足らずの期間だったことになる。なお、現実の社会で2005年当時の総理大臣は小泉純一郎であった。

22世紀の科学で修理できなかったドラえもんを、のび太が推定西暦1970年から2005年までの35年の猛勉強で21世紀初めに修理してしまうというこの同人誌がいかに安易な作りかよくわかる。
では、これが修理でなく製造であり、「ドラえもんを發明したのはのび太」という假説による話だとすると、『ドラえもん』としてはもっと異常なことになる。ドラえもんは2112年9月3日生まれであるが、この同人誌では2005年生まれにしたらしい。まあ、原作が始まった当初は1970年から111年後ということで2181年ごろがドラえもんの時代だった可能性もあり、また1995年当時ののび太の借金が「100年たっても返しきれない」(セワシ談)とあるので2095年、いずれも21世紀末だった可能性がある。

しかし田嶋版で2005年ドラえもん誕生というのは早すぎる。原作では2002年でノビスケ10歳くらい(てんコミ16「りっぱなパパになるぞ!」)、2008年でタイムマシン發明(てんコミ41「未来図書券」)、アニメの映画『ミニドラSOS!!!』(1989年公開)では2011年でノビスケ10歳か11歳くらいの設定だったらしい。
もし、のび太が2112年にドラえもんを「發明」したとすると「2112年ドラえもん誕生」に関する過去の設定を同人誌が否定することになる。その場合、田嶋同人誌版ののび太が45歳でドラえもんを作った(直した)とするとのび太は2067年生まれ。セワシが生まれたのが2114年から2115年までとすると、セワシ誕生の時点でのび太は57歳から58歳。のび太はセワシの祖父の祖父だが、同人誌ではこれを「祖父」にして、しかものび太の少年時代を「2077年ごろ」に設定したことになる。

こんな低レベルな模造品でも本物と勘違いして買った人が少なからずいたということは、『ドラえもん』がそれだけ国民的になってしまった結果がマイナスの面で出てしまったと言えるだろう。

なお、初期原作でドラえもんが21世紀末のロボットだったとするとセワシはのび太の孫かどうか。1970年当時10歳ののび太が1960年生まれとして、セワシが57歳か58歳年下とするとセワシは2017年か2018年生まれになる。ドラえもん誕生がセワシ誕生の3年前とすると2014年か2015年にドラえもん誕生になる。

のび太の孫の生まれた(生まれる)年について追加すると、1世代25歳差の場合、のび太が1960年生まれならのび太の息子は1985年生まれ、のび太の孫は2010年生まれであり、1世代30歳差だと息子は1990年生まれ、のび太の孫は2020年生まれになる。もしもセワシがのび太の「孫の孫」でなくただの「孫」であれば、2010年代にすでにドラえもんが存在することになる。
のび太が10歳くらいのとき、息子・ノビスケが10歳くらいになっている近未来は25年後なので、のび太と息子・ノビスケは25歳差ほど。一方、のび太が10歳くらいのときに父・のび助は36歳から38歳くらいなので、のび太と父親の年齢差は26歳から28歳、これで野比家の1世代は25歳差から30歳差と考えられる。

1970年ののび太が10歳で、のび太と息子、息子と孫の年齢差が25歳だと息子は1995年、孫は2010年生まれ。田嶋版ののび太が2005年で45歳とすると息子は20歳になっているわけだが、のび太の孫が生まれるにはまだ5年必要である。ドラえもんをのび太の孫の時代と假定しても計算が合わない。

結局、田嶋版をどう解釋しても『ドラえもん』の歴史観と合わないわけで、この意味でもこの同人誌は原作を無視した作品である。


参照
21世紀初めの9年間におけるアニメ『ドラえもん』の時代設定
主な『ドラえもん』関連記事(2009年6月)