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打法・悪球打ちI、〃II、〃III

次に岩鬼以外の打者の悪球打ちについて。

 

 

あの花形満も高校時代、甲子園で星飛雄馬の敬遠ボールを打ち、外野フェンス近くまで運んだことがあり、そのときはアウトになったものの、悪球打ちの才能があり、使いようではヒットになる。プロ入り後、大リーグボールを予告ホームランしたのも、単に鉄球と鉄バットの特訓だけによる成果ではなく、彼の素質もあったのだろう。ノックアウト打法のためにやったテニスの練習が生かされたか(注釋)。

 

 

 

長嶋茂雄は悪球打ちが得意で、1968年の台湾キャンプの紅白戦で飛雄馬が準完全試合を達成したとき、唯一の安打が長嶋の悪球打ちによるものだった。ここで飛雄馬は大袈裟にマウンドを殴って悔しがり、周圍を唖然とさせた。

 

 

 

山田太郎は2007年の日本シリーズ、東京スーパースターズ×中日戦で悪球打ちを披露し、東京超星を日本一に導いた(「史実」では中日が日本一)。
『父の魂』でも明智光成という打者が悪球打ちだった。
『新巨人の星』のロメオ・南条も悪球打ちを身につけ、飛雄馬が投げた敬遠ボールを打ってピッチャー返しにした。
また、弁慶高校の武蔵坊も敬遠のボールをバットの先で叩いて、力で本塁打にした(1975年~79年か)。
また、74年ごろ、大洋ホエールズに入団した海王神人は敬遠のボールを念力でストライクゾーンに引き寄せて打ってしまった。海王は守備でも本塁打性の打球をグラブに引き寄せて捕る超能力を持っていた。

 

 

 

水島新司氏はワン・バウンドの悪球でも打ってヒットにするイチローに岩鬼の姿を見るという(2007年11月、朝日新聞「スポーツ・フロンティア第6部、マンガの力10・ドカベン」より)。もし、松井秀喜が悪球打ちの技術をみがいていたら、甲子園で連続敬遠されても打てたかも知れない。

 

 

 

山田が高1夏の甲子園で通天閣を破ったあと、対戦した広島・梅ヶ丘の4番者・山下は地方予選で敬遠のボールでも打ってしまう悪球打ちの名人で、里中が投げたシンカーを低いところで当てて、それでもライトの北が守るフェンス(ラッキーゾーンの金網)ぎりぎりまで飛んだ。武蔵坊も山田世代高2の夏、里中が上手投げで投げた落ちる変化球に対し、体勢をくずしながら打ち、殿馬がキャッチしてアウト。

 

 

 

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09年6/2