『大甲子園』と『新潟明訓対神奈川明訓』の前後関係 

ヤングチャンピオン・コミックス『I Love Baseball』(1992年初版)に収録されている『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』よると、1991年の7月7日、神奈川明訓ナインが新潟に行き、新潟明訓と対戦した。このとき、明訓は太平監督で、山田太郎は3年生であった。

 

『大甲子園』における夏の甲子園準決勝、神奈川明訓×青田(千葉)の対戦は1985年ごろであり、『新潟明訓対神奈川明訓』の時代設定は小林幹英投手が高3だった時期で、1991年である。
しかし、『新潟明訓対神奈川明訓』では山田世代高3の夏の予選の前、新潟県の予選が始まる1週間前に時代が設定されているので、西暦の違いを無視して、神奈川と新潟で夏の予選がほぼ同時に開催されたと假定すれば、山田世代は新潟明訓と対戦したあと、夏の地区予選を戦い、そのあと、甲子園に出場して準決勝で青田と対戦したことになる。

 

 

山田世代が高3のとき、春の選抜が終わってから、神奈川県の夏の予選の準決勝(横浜学院戦)まで、里中は明訓高校から離れており、決勝の白新戦で復帰した。新潟明訓との練習試合で里中が登板しており、つまり、この明訓高校同士の試合は『ドカベン』の終盤で太平監督指揮下の神奈川明訓が春の選抜で優勝してから、里中が野球部から去るまでの間に起きたサイドストーリーということになる。

 

 

『ドカベン・プロ野球編』でプロ入り後の小林幹英と山田世代が再び対戦したのは1998年のオールスター。少年チャンピオン・コミックス『ドカベン・プロ野球編』第22巻(1999年初版)で描かれている。

 

 

『プロ野球編』の山田世代は1994年度で高3という設定であるから、1991年夏のときには中学3年で、まだ、明訓高校に入っていなかった。『プロ編』の設定になおすと、山田世代が練習試合で新潟明訓と対戦し、夏の甲子園で優勝したのは94年の夏になる。小林幹英の実際の球歴を無視して、あくまで『ドカベン』のキャラクターとして『プロ編』に時代を合わせると、『プロ編』開始の段階で小林幹英が高3だった夏は91年から94年にずれる。しかし、現実の幹英投手は92年3月で新潟明訓を卒業し、94年当時は専修大学の3年生だったはずである。

 

 

番外編『新潟明訓対~』の山田世代は小林幹英と同輩だったが、『プロ編』で小林幹英と再会した山田世代は小林幹英より3年後輩であった。
広島カープの投手として西武時代の山田と対戦し、山田を打ち取った小林幹英は、山田について「しかし山田、3年の間に凄い迫力が身についたな」と評価しており、明訓時代の対戦から3年ぶりのように見なしていた。実際は作品の設定で短く見積もっても4年、実際の時代背景では7年ぶりの対戦である。
あるいは、作中の小林幹英はプロ入り後も、1995年あたりまで山田を研究していたのだろう。

 

 

補足
製作順で考えると『ドカベン』無印→『大甲子園』→『新潟明訓対~』→『プロ野球編』になるが、山田世代高3の年度の中で考えると『ドカベン』無印→『新潟~』→『大甲子園』→『プロ編』という流れになる。『新潟~』では神奈川明訓の山田の後輩で蛸田と渚が描かれているが、香車は見当たらない。これは『大甲子園』初期の夏の予選、白新戦で香車がフェンス際で負傷し、それ以降、渚に交代した流れを受け継いでいるのであろう。

 

 

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2009年5/31