渚圭一と高代智秋(『ドカベン』)【人物】 

○西暦順
1979年ごろ(『ドカベン』土井垣明訓編)
春の選抜のあと、明訓高校1年の渚と高代がレギュラー入り。
夏の予選、東海高校との試合で渚が登板。途中で里中に交代。高代は2塁手。
なお、単行本初刊の時期で言えば、渚と高代の初登場は1978年であろう。
白新との試合で殿馬が復帰し、高代はベンチ。吉良との試合で途中から渚が登板。
甲子園で弁慶高校に敗れ、土井垣監督が辞任し、日ハム入り(1979年夏)。犬飼小次郎は南海ホークス入り。
太平監督が就任し、上下(かみしも)、蛸田、香車(きょうしゃ、きょうす)のレギュラー入りとともに、高代も遊撃手としてレギュラー入り。

1979~82年?(『ドカベン』太平明訓編)
春の選抜のあと、里中が休学(無印の最終回)。

1982~85年(『大甲子園』)
7月神奈川予選、準決勝(横浜学院戦)まで渚が登板し、決勝(白新戦)で里中が復帰。外野手だった香車が負傷し、渚に交代。
8月、甲子園で室戸と対戦。知三郎が渚相手にゴロを投げる。高代が3塁走者のとき、岩鬼がHR。
準決勝は明訓×青田戦。中西が渚を打ち取った時点で9連続奪三振(1926年から57年ぶりの新記録)。
└→日ハムの土井垣は後楽園球場でテレビ観戦。のちに殿馬が入団するオリックスはこのとき阪急だった。

1991年(『新潟明訓対神奈川明訓』)
7月、新潟予選1週間前、里中と渚を含む神奈川明訓ナインが新潟に行き、新潟明訓と練習試合で対戦。
└→新潟明訓の投手は当時高3の小林幹英。

1994年(『ドカベン・プロ野球編』)
11月、山田世代がドラフトで指名される。里中が渚に指導。高代は3塁手として練習。

 

 

○山田世代球歴順
山田世代高2(渚と高代は高1)の年
春の選抜のあと、明訓高校1年の渚と高代がレギュラー入り。
夏の予選、東海高校との試合で渚が登板。途中で里中に交代。高代は2塁手。
白新との試合で殿馬が復帰し、高代はベンチ。吉良との試合で途中から渚が登板。
甲子園で弁慶高校に敗れ、土井垣監督が辞任し、日ハム入り(山田世代高2夏、土井垣は19歳)。
太平監督が就任し、上下、蛸田、香車のレギュラー入りとともに、高代も遊撃手としてレギュラー入り。

山田高3(渚と高代は高2)の年
春の選抜で優勝。
7月予選前、里中と渚を含む神奈川明訓ナインが新潟に行き、新潟明訓と練習試合で対戦。
└→新潟明訓の投手は当時、高3の小林幹英。
里中が休学(新潟明訓との試合のあとか)。
7月神奈川予選、準決勝まで渚が登板し、決勝で里中が復帰。外野手だった香車が負傷し、渚に交代。
8月、甲子園で室戸と対戦。知三郎が渚相手にゴロを投げる。高代が3塁走者のとき、岩鬼がHR。
準決勝は明訓×青田戦で、延長引き分けで再試合。
11月、山田世代がドラフトで指名される。里中が渚に指導。高代は3塁手として練習。

 

 

 

○『プロ野球編』の設定
1993年(春から山田高2)
春の選抜のあと、明訓高校1年の渚と高代がレギュラー入り。
夏の予選、東海高校との試合で渚が登板。途中で里中に交代。高代は2塁手。
白新との試合で殿馬が復帰し、高代はベンチ。吉良との試合で途中から渚が登板。
甲子園で弁慶高校に敗れ、土井垣監督が辞任し、日ハム入り(93年夏)。犬飼小次郎はダイエーホークス入り。
太平監督が就任し、上下、蛸田、香車のレギュラー入りとともに、高代も遊撃手としてレギュラー入り。

1994年(春から山田高3、渚と高代は高2)
春の選抜で優勝。
7月予選前、里中と渚を含む神奈川明訓ナインが新潟で新潟明訓と対戦か?
└→小林幹英は92年春に新潟明訓を卒業し、94年当時は専修大学に在学していたはず。
里中が休学(春の選抜と夏の予選準決勝の間)。
7月神奈川予選、準決勝まで渚が登板し、決勝で里中が復帰。外野手だった香車が負傷し、渚に交代。
8月、甲子園で室戸と対戦。知三郎が渚相手にゴロを投げる。高代が3塁走者のとき、岩鬼がHR。
準決勝は明訓×青田戦で、延長引き分けで再試合。
11月、山田世代がドラフトで指名される。里中が渚に指導。高代は3塁手として練習。

 

 

 

 

 

 

前後一覧
2009年5/31