『必殺!主水死す』は1996年公開。
『必殺仕事人2007』と『2009』で中村主水(~もんど)が「復活」した今となっては、なぜこんな映画が作られたのかという気になるのも仕方がないが、当時としては必要だったのである。「主水の最期」は描かれる必要があったが、問題があるとすればその描かかれ方である。
藤田まことは1973年の『必殺仕置人』から中村主水を演じ、1991~92年の『必殺仕事人・激突!』で主水役も通算で20年近くなり、藤田まことはイメージの固定化への危惧と主水像の変化などから、一旦、主水役からの引退を宣言。テレビで藤田まことは「一つの役は10年が限度だと想う。それを私は20年やってしまった」と述べていた(下注釋)。
『必殺仕事人2007』と『2009』で中村主水(~もんど)が「復活」した今となっては、なぜこんな映画が作られたのかという気になるのも仕方がないが、当時としては必要だったのである。「主水の最期」は描かれる必要があったが、問題があるとすればその描かかれ方である。
藤田まことは1973年の『必殺仕置人』から中村主水を演じ、1991~92年の『必殺仕事人・激突!』で主水役も通算で20年近くなり、藤田まことはイメージの固定化への危惧と主水像の変化などから、一旦、主水役からの引退を宣言。テレビで藤田まことは「一つの役は10年が限度だと想う。それを私は20年やってしまった」と述べていた(下注釋)。
その後、『必殺!三味線屋・勇次』が1999年に公開され、藤田まことが伝兵衛という年老いた仕事人を演じ、主水亡きあとの必殺を勇次が継承していくかと想われたが、『2007』で主水が復活という予想外(期待どおり?)の展開により、勇次が主水を受け継ぐ可能性もなくなった。
└→『必殺!主水死す』の時代設定は黒船直前
└→明治時代の中村主水
└→『必殺!主水死す』の時代設定は黒船直前
└→明治時代の中村主水
捨蔵(下注釋)を育てたお夢こと千代は「20年前」に額に傷を負って記憶を失っていた。これが北斎ぼつねんから20年前だと1829年。文政の主水が何でも屋の加代、千葉周作たちと組んで高橋景保の仇討をした年だ。
1851年没か。
1851年没か。
捨蔵は家定の双子の妹だから1824年生まれ。20年前に三ツ俣の中洲で捨てられているところをお夢に拾われた。1829年だとすると数え年6歳である。赤ん坊のときに捨てられたとすると「24年前」か「23年前」になり、おそらく「20年前」は概数だろう。
捨蔵は1851年以降、ラストシーンの小屋の爆發のとき、お夢に代わって「千代」の名を継承したらしい。これを提案したのは秀のようだが、初めの脚本では女仕事人・おけいだったらしい。
捨蔵は1851年以降、ラストシーンの小屋の爆發のとき、お夢に代わって「千代」の名を継承したらしい。これを提案したのは秀のようだが、初めの脚本では女仕事人・おけいだったらしい。
劇中では大奥のお美津と姉小路の対立が描かれている。
お美津は家定の生母で、姉小路が捨蔵を後継ぎに擁立しようと考え、捨蔵を探し、お美津はそれを防ぐために葛西衆を使って捨蔵を消そうとする。
姉小路は捨蔵が女と知ると、今度は自ら別式女たち(別式衆)を使って捨蔵を消そうとする。
その後、水野忠邦と姉小路が主水に刺され、勇次が屋根の上から駕籠の中のお美津を仕置。
お美津は家定の生母で、姉小路が捨蔵を後継ぎに擁立しようと考え、捨蔵を探し、お美津はそれを防ぐために葛西衆を使って捨蔵を消そうとする。
姉小路は捨蔵が女と知ると、今度は自ら別式女たち(別式衆)を使って捨蔵を消そうとする。
その後、水野忠邦と姉小路が主水に刺され、勇次が屋根の上から駕籠の中のお美津を仕置。
「史実」ではお美津こと本寿院は1885年没で、没年は岩崎弥太郎と同じで、天璋院(篤姫)の没年より2年後である。1885年は日本が尖閣諸島を「發見」した年だ。
姉小路は1880年没。いずれも明治時代まで生きた。
本寿院は勇次の糸の締め方が弱くて九死に一生を得たか。
姉小路の場合、幕末にも生きていたとすると主水による水野暗殺を知っていたはずだ。家定が将軍になった年、やはり中村主水が糸井貢、大吉らと組んで江戸で裏稼業を始めており、その8年後には主水が井伊大老を暗殺している。
Yahoo!百科事典では水野忠邦は「病死」とある。幕府では少なくとも水野を「病死」で片付けたか。
姉小路は1880年没。いずれも明治時代まで生きた。
本寿院は勇次の糸の締め方が弱くて九死に一生を得たか。
姉小路の場合、幕末にも生きていたとすると主水による水野暗殺を知っていたはずだ。家定が将軍になった年、やはり中村主水が糸井貢、大吉らと組んで江戸で裏稼業を始めており、その8年後には主水が井伊大老を暗殺している。
Yahoo!百科事典では水野忠邦は「病死」とある。幕府では少なくとも水野を「病死」で片付けたか。
姉小路は主水に刺されて生きのびても記憶を失ったか、それとも捨蔵を探し、のちに消そうとしたのは替え玉の姉小路だったか?
あるいは幕府が別人をこしらえて姉小路に仕立てたか?
真相は不明である。
あるいは幕府が別人をこしらえて姉小路に仕立てたか?
真相は不明である。
山田誠二氏によると撮影の際、お美津の台詞で大奥ことばの「早うしや」が大阪辯の「早うしいや」になってしまって何度も取りなおししたらしい。
それで勇次役の中条きよしが屋根の上で長時間待たされた。
台詞など、あとで録音しなおせばいいと思うが。
それで勇次役の中条きよしが屋根の上で長時間待たされた。
台詞など、あとで録音しなおせばいいと思うが。
1996年の映画「必殺!主水死す」で主水は権の四郎、千代と20年ぶりに再会。時代設定は葛飾北斎没年1849年から水野忠邦没年1851年までを含む。その20年前は1829~31年。1828~29年のシーボルト事件で主水が裏仕事をした直後に相当する。
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リメイク版に入るかわかりませんが山田誠二氏「必殺!大全集」によると96年の「主水死す」の撮影では成瀬千里さんが三味線の持ち方や歩き方がまださまにならず、記録係の野崎(八重子?)さんから「TVで昔の必殺とか見て勉強せなあかんで」と叱責されたそうです。
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山田誠二氏の「必殺!大全集」によると1996年公開の「必殺!主水死す」の撮影で、しづという鳥追い(傘をかぶって三味線を持った女)姿の女を演じた当時の若手女優の歩く姿が様にならず、何度もやり直しになったらしい。「新潮45」11月号の春日氏の文を読んでそれを思い出した
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山田誠二氏「必殺!大全集」によると1995年師走2日に行われた「必殺!主水死す」('96年公開)の撮影終了報告記者会見で、藤田まことは「必殺は絶えず再放送が日本全国で行われてますのでテレビでは主水は永久に生き続けます」と言っていたらしい。またこの「主水死す」('96)撮影終了報告記者会見('95)で、三田村邦彦は冗談で「またテレビでやるんでしょうが」と言い、藤田まことはブルブルと首を振って否定していたらしい。
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