1993年の『ポケベルが鳴らなくて』というドラマ自体はほとんど観ていないが、タイトルは聴いたことがある。
1993年は横浜大洋ホエールズが横浜ベイスターズになった年である(大洋が川崎から横浜に移ったのは1978年)。しかし、大洋ホエールズよりポケベルのほうが古く感じてしまう。
それは手書きとパソコンの間のワープロ同様、一過性の道具だったからであろう。

電話の歴史はベルとワトソンによる發明にさかのぼるという話は有名である。

ドラえもんの道具では「糸なし糸電話」が出てきたが、これは携帯電話の一種であり、「ききがきタイプライター」が音声認識ワープロになっているように、実現した「秘密道具」の例である。
『ドラえもん』は基本的に70年代の作品で、空き地の土管など、のび太の日常が読者の日常であり、四次元ポケットは未来の象徴であったが、今ではのび太の日常が昭和の郷愁に近くなり、社会がドラえもんの秘密道具の世界に近付いている。
21世紀のアニメでスネ夫が携帯電話を持つべきかどうか、ネットでアンケートがおこなわれたほどだ(時代設定上は、まったく問題ない)。

『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングでは、今、アナウンサーが無線の電話機で電話をするシステムだが、昔はタモリが座っている椅子の前の机に固定電話が置かれ、ゲストが直接、電話をかけていた。それでかける場面がテレビで映され手の動きから番号がばれるのを防ぐため、「テレ隠し」というカバーが必要だった。なお、2011年にはテレフォンショッキングでゲストが自分で電話をするシステムが再開され、「テレ隠し」が復活している。

確か、携帯電話どころかポケベルも一般に普及していなかった時代、松田聖子が『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出たことがあった。前のゲストが松田聖子を呼ぼうとしたときに松田聖子が移動中で、松田聖子は当時、まだ珍しかったポケベルを持っていた。番組から松田聖子のポケットベルに連絡し、松田聖子からの連絡を待つという仕組みであった。

ポケベルは『BAR来夢来人』にも登場し、当時の女子高生にとっては持っているのが常識であった。

20世紀が終わるころ、電話会社のCMで『サイボーグ009』や『ウルトラセブン』の通信シーンが使われ、「小さいころ観た夢を20世紀のうちにかなえることができました」という趣旨のコピーがついていた。
Y!Japan サイボーグ009 ウルトラセブン 携帯電話 CM
└→T-CupBlog>2000年当時の携帯電話の廣告、昔のアニメ・特撮の夢が実現

2008年緒形拳が没したとき、『ポケベルが鳴らなくて』で共演した裕木奈江が追悼コメントを寄せ、そのとき、携帯電話が当たり前になった時代のメディアで久しぶりにこのドラマの題名が紹介されていた。

ポケベルは災害時の医療などでは、まだ使われている。
ポケベルの衰退を報道する番組では「ポケベルが鳴らなくて」の歌がかかっていたようで、この歌はポケベルの象徴であった。
携帯電話は災害のときにつながらなくなる難点があり、何でも携帯電話に頼るのは問題である。もっともこれは電話の宿命で、新型インフルエンザ騒動の初めのときは、舛添大臣の会見のあと、横浜市当局に電話が殺到し一時不通になったらしい。こういうときマスコミが一つの取材対象にむらがるのが悪い。代理取材にするか公式發表を待てばいい話だ。

携帯滞電話をポケベルのように使う手がある。携帯電話は、相手から「電話してほしい」というメッセージを受信するためだけに使い、自分からかけるときは公衆電話か家の固定電話を使う(またはよその家の電話を借りる)という手だ。携帯電話料金のほうが高くつく場合はそのほうが賢明であろう。

「昭和ブーム」はもう食傷気味なので、そろそろ「平成の最初の10年(1989~1998年)」の時代も「なつかしの~」の対象に入れたらいいと思う。
世間の「昭和もの」は焼け跡復興から巨人にONがいた時代まで、要するに昭和に真中に偏っていて、昭和元年から戦争まで扱うようでもなく、昭和の末期を扱うようでもなく、どうも中途半端に古い気がする。

スポーツでも歌でもドラマでもアニメでも「90年代」中心で振り返る番組や雑誌があったらいいと思う。

2014年10月13日(月)
なお、初期のポケベルの機能を携帯電話に置き替えて説明すると、利用者があくまで携帯電話を「通話を受ける」だけに使い、返信は公衆電話や自宅または外出先の固定電話でやるようなものである。
posted at 16:26:26

携帯滞電話をポケベルのように使う手がある。携帯電話を受信專用に使い、自分からかけるときは公衆電話か固定電話を使うという手だ。場合によってはその方が経済的であろう。
6:41 - 2014年10月14日


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