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日テレ版(1973年)、テレ朝・大山版(1979~2005年)、テレ朝・水田版(2005年~)
──────────└→1980年前後のリバイバルブーム
1973年に日テレで放送された『ドラえもん』のアニメ版第1作は半年ほどで終わった。
その後、1974年から78年までの5年間、私は小学校にかよって、小学館学年別学習雑誌とてんとう虫コミックスの単行本で『ドラえもん』を読み続けていた。富田耕生と野沢雅子の声は期間が短かったのと、5年のアニメなしの期間のほうが長かったせいで、原作を読むとき、ドラえもんの声は頭の中で自然に作っていた。本を黙読するときに思い浮かべる、自分の声をベースにした、一種の架空の声である。
そんな中で77年に『コロコロコミック』が出た。雑誌のタイトルより「ドラえもん」の文字が大きかった。そして、79年春からテレ朝で、また、『ドラえもん』がアニメ化されることになり、『コロコロ』でも紹介されていた。
日テレ版(1973年)、テレ朝・大山版(1979~2005年)、テレ朝・水田版(2005年~)
──────────└→1980年前後のリバイバルブーム
1973年に日テレで放送された『ドラえもん』のアニメ版第1作は半年ほどで終わった。
その後、1974年から78年までの5年間、私は小学校にかよって、小学館学年別学習雑誌とてんとう虫コミックスの単行本で『ドラえもん』を読み続けていた。富田耕生と野沢雅子の声は期間が短かったのと、5年のアニメなしの期間のほうが長かったせいで、原作を読むとき、ドラえもんの声は頭の中で自然に作っていた。本を黙読するときに思い浮かべる、自分の声をベースにした、一種の架空の声である。
そんな中で77年に『コロコロコミック』が出た。雑誌のタイトルより「ドラえもん」の文字が大きかった。そして、79年春からテレ朝で、また、『ドラえもん』がアニメ化されることになり、『コロコロ』でも紹介されていた。
この79年からスタートしたのが、テレ朝版のアニメ第1期、一時代を築いた「大山ドラえもん」である。
ドラえもんが大山のぶ代の声で話すのを最初に聴いたのは、何か、このアニメを宣傳していた別の番組だったと想う。第1話の「夢の町ノビタランド」の映像の一部が流れ、スタジオにいた大人の女性(当時の小学生にとってはオバサン)2名ほどが「かわいいですねえ」などと言っていた。
そして、ドラえもんの着ぐるみらしきものが動いて大山のぶ代の声であいさつ。
ドラえもんが大山のぶ代の声で話すのを最初に聴いたのは、何か、このアニメを宣傳していた別の番組だったと想う。第1話の「夢の町ノビタランド」の映像の一部が流れ、スタジオにいた大人の女性(当時の小学生にとってはオバサン)2名ほどが「かわいいですねえ」などと言っていた。
そして、ドラえもんの着ぐるみらしきものが動いて大山のぶ代の声であいさつ。
すでにドラえもんの声は2回変わっており、前の2人と違った声であった。しかも、前のアニメとの間の5~6年の間に原作を「黙読」して独自の「声」を作り上げて読んでいたところで、大山のぶ代の声をドラえもんの映像とセットで聴いたので、「ドラえもんの声がこんなになっちゃうのか」という違和感が正直な感想であった。特に「しずか」こと源静香の声が野村道子になったことには、納得がいかなかった。
この違和感は「大山ドラえもん」の人気が世間に定着してから本作を観始めたファンには絶対に理解できない。そういう人たちは大山のぶ代、小原乃梨子、野村道子、肝付兼太、たてかべ和也らのレギュラー陣が降板したときには『ドラえもん』の声優交代など未経験だったため、おそらくいまだに「ドラえもんの声は大山さんじゃないといけない」「今のドラえもんに馴染めない」と言い続けているのだろう。
『ドラえもん』が「富田・野沢版」から「大山版」になってしばらくアニメを観ていたが、大人になって80年代も終わりにさしかかると、しばらく観なくなった。その後、21世紀に入り、「水田版」になって改めて観るようになっている。
「大山版」の『ドラえもん』は確かに本作の「国民的」人気を作り上げ、一時代を築いたという意味では今でも充分評価できる。しかし、日テレ版を観た世代にとっては、もともと30年前の違和感から始まった作品であるから、4年前の交代はむしろ、必然であり、時間の問題であった。四半世紀かけて違和感が薄れた人もいるだろうし、違和感が抜けずに「大山版」終了を迎えた人もいるだろう。
「大山版」の『ドラえもん』は確かに本作の「国民的」人気を作り上げ、一時代を築いたという意味では今でも充分評価できる。しかし、日テレ版を観た世代にとっては、もともと30年前の違和感から始まった作品であるから、4年前の交代はむしろ、必然であり、時間の問題であった。四半世紀かけて違和感が薄れた人もいるだろうし、違和感が抜けずに「大山版」終了を迎えた人もいるだろう。
ネット上などで大山のぶ代を「初代」ドラえもん(の声優)として紹介しているのは誤りである。初代は富田耕生である。「大山版」を「初代」「元祖」と想い込む人たちが、今の「水田版」に馴染めない感情を絶対化してしまうのである。
『のび太のパラレル西遊記』のフィルムコミックを読むときは頭の中で声が大山版になるが、『宇宙開拓史』を読むときは水田版に切り替わり、それ以外では「大山ドラ」の記憶が頭から消えようとしている。もし、いまだに「水田ドラ」に慣れない人が多いとしても、それは4年前に交代したせいでなく、30年前から26年の間、「変わらなかった」ことが原因である。
もっとも声を除くと「大山ドラえもん」は初期と末期で絵がずいぶん違い、リメイクも何度かおこなわれている。
2005年の交代とリメイクはその意味で必然であった。
もっとも声を除くと「大山ドラえもん」は初期と末期で絵がずいぶん違い、リメイクも何度かおこなわれている。
2005年の交代とリメイクはその意味で必然であった。