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2003年に出た伊集院光『球漫』の91ページで「スポーツを知らなくても傑作は書ける」という段落のタイトルのようなことばが太いゴシックでかかれてある。そこで伊集院は『あしたのジョー』の力石の減量について述べている。
115ページでは伊集院が『アストロ球団』の中島徳博(~のりひろ)と対談した様子を掲載。
中島氏は、『アストロ球団』が余りに荒唐無稽なので、読者から抗議されたことがあるらしい。

 

 

中  島―カミソリ送ってきた連中が必ず書くのが、「あなたの野球漫画、
       野球漫画じゃありません」。で、必ず、「水島新司先生と
       ちばあきお先生の漫画読んで勉強しなさい」って。
伊集院―(笑)。
中  島―そんなの言われてもさ、オレは、野球知らなかったんだからさぁ。(『球漫』より)

 

 

 

126ページで伊集院は漫画ならではの荒唐無稽さを求めている。野球漫画のリアリズムの頂点に水島・ちば両氏の作品があるのであって、『アストロ球団』は別だという考えだ。『アストロ』で選手が一瞬で老人になったり、手首の関節を外したりする荒唐無稽は守るべきで、漫画家が読者から「水島新司を見習え」と言われて、本当にそうしたら作品は残らない。これが伊集院の見方である。その上で伊集院はこう嘆いている。

 

 

 

伊集院―でも、どこで間違えちゃったんですかね、マンガって。
       いい意味の荒唐無稽さを放棄して、マジにやんなくちゃいけなく
       なったのは。(『球漫』より)

 

 

 

一方、『球漫』で伊集院は水島新司とも対談。149ページでこういう会話になっている。
ここでは一轉して伊集院は野球漫画のリアリズムを重視する意見に賛同している。

 

 

 

水  島―(略)『ドカベン』スタートの時は、『巨人の星』をすごく
       意識してました。
伊集院―してました?
水  島―こんな野球漫画だったら野球する子が出てこない、と。
伊集院―身近じゃないですからね。
水  島―こんな苦しいものかと。野球はもっと楽しいものだと
       いうことで、『ドカベン』を始めたんですよね。(『球漫』より)

 

 

 

ここで水島氏は「『巨人の星』のような野球漫画では野球する子が出てこない」と断定しているが、もちろん、そんなことはなく、『巨人の星』で野球を始めた子供は多く、さらにこの作品で野球にさらに打ち込むようになった野球少年もいたようだ。まず、原辰徳と同世代の河崎実がこう書いている。

 

 

 

河崎実『「巨人の星」の謎』(1993年)
(注;大リーグボール養成ギプスが体毛をはさんでしまうことについて述べたあと)
『巨人の星』を見て野球を始めた子供(筆者もそうだが)は
星の数ほどいるはずだが、大リーグボール養成ギプスを
作ってきたえた奴は聞いたことがないのは以上の理由による。
と、ここまで書いて気になる記事を思い出した。
郷ひろみ。彼もまた『巨人の星』に憧れて野球を始めた世代
なのだが、ギプスを作ったらしいのだ。(40ページ)

 

 

 

河崎実によると、これは『月刊明星』1973年5月号の記事によるもので、郷ひろみが少年時代に所属していたのは「ハーキュリーズ」というチームらしい。ちなみにハーキュリーズは星座ではヘルクレス座に相当するだろう。
次は『巨人の星』の文庫に解説を寄せた著名人の声である。

 

 

 

『巨人の星』文庫第6巻(1995年)、石橋貴明による巻末解説
『巨人の星』を読んだのは、ちょうど野球をやりはじめた
小学校二年生くらい(昭和四十四年ころ)だったね。(文庫巻末より)

 

 

 

『新巨人の星』文庫第2巻(1995年)、西城秀樹による巻末解説
草野球で星飛雄馬のまねをしたり、ギプスの代わりに
エキスパンダーで体力作りをしたりと、ぼくも含め
「巨人の星」に影響された子どもは多かったと思います。(文庫巻末より)

 

 

 

西城秀樹が郷ひろみ、野口五郎と同世代で、「新御三家」(Wiki)と呼ばれたのは周知の如し。ちなみに、「新」抜きの「御三家」は「橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦」らしい。
次は伊集院光と同じ1967年生まれである松村邦洋の解説である。

 

 

 

『新巨人の星』文庫第3巻(1995年)、松村邦洋による巻末解説
(阪神ファンの松村が小2のときは『巨人の星』の影響でGファンだったことに触れたあと)
野球をはじめたのも、当時の多くの子どもと同じく
飛雄馬に憧れたからでした。(文庫巻末より)

 

 

 

『新巨人の星』文庫第5巻(1996年)、二宮清純による巻末解説
もし星飛雄馬と出会っていなかったら、僕はスポーツライターに
なっていなかったんじゃないか。
(中略)
小学生の時、僕は大リーグボールを1号から3号まで全部投げることが
できた。『週刊少年マガジン』で大リーグボールがデビューすると、
早速その日から練習に没頭した。(文庫巻末より)

 

 

 

このように、『巨人の星』が野球少年を育てた事実はあるのだ。
次に、話を『球漫』に戻すと、伊集院は157ページで肖像権などで球団に拂う金などで野球漫画家が窮屈になり、水島氏も困っているという、よく知られた権利の制約の問題に触れたあと、その流れで次のように昔の「自由さ」を懐かしんでいる。このあたり、伊集院氏の人の良さが出過ぎて、スタンスに矛盾が出ているように見える。

 

 

 

伊集院―(略)ぼくらがすごく幸せだったのは、あんまり実際の野球なり、
       理屈なりだけを追い求めなくて読めたんです。別に『男どアホウ』で
       剛球仮面みたいな投手が出てきても、なんとも思わない。
       ああいうものだと思っていたし。でもいま、読者がルール知ってるから
       「あれ、ボークだ」とか、細かいこと言うでしょ。
水  島―(笑)。(『球漫』より)

 

 

 

剛球仮面の投げ方は『侍ジャイアンツ』の番場蛮に近い。野球漫画は現実にできない夢を描くのか、野球の手引書、啓蒙書なのかという問題が出てくる。