少年時代、『巨人の星』に興味を持ったのは川崎のぼるの絵から
個人的には『巨人の星』に興味を持ったのは川崎のぼるの絵がきっかけである。『いなかっぺ大将』や『てんとう虫の歌』を描いた漫画家の絵ということで『巨人の星』を観ていた。小学生だったとき、小学館の学年別学習雑誌で『どんぐり大将』も始まった。そういう時期に単行本と再放送で『巨人の星』を観ていた(下注釋)。
この川崎のぼるのガンマンの描写は『巨人の星』の京子編冒頭の映画館のポスター、さらに『新巨人の星』のロメオ・南条につながる。
ときどき、台詞に吹き出しを書かず、文字だけにするなど、実験的な作風が多かった。消える魔球の原理は、星飛雄馬が投げるときの投球フォームを観て梶原一騎が思いついたらしい。
『いなかっぺ大将』の風大左衛門は初め、星飛雄馬のような二枚目で、柔道一直線の一条直也に近かった。『巨人の星』で伴宙太がやっていた柔道を物語の中心にしたものだった。それがギャグ漫画になっていった。
大左衛門の声を担当した野沢雅子は『巨人の星』で長屋のよね婆さんの声を担当していた。
なお、『週刊少年マガジン』では2006年36・37号(8/23・30号)から別の漫画家の作画で『新約「巨人の星」花形』が始まったが、私は1回目を観ただけで、「これは違う」と判断し、読むのをやめた。絵がまるで違うし、表紙右下にあった「花形満」の顔など、まるで表紙の中央を飾った相武紗季の似顔絵のようである。
やはり、自分は『巨人の星』は川崎のぼるの絵から入ったという原点があるし、『新約』には梶原一騎の哲学のようなものがない。したがって『新約』は対象外としているわけである。
『巨人の星』の場合、70年代の時点でKCのほかに小さいサイズの単行本も出ていたようだが、今となっては確認できない。『少年マガジン』掲載の『巨人の星』を観たこともあるが、すでに終盤近くの京子編にさしかかっていた。
1970年代に川崎のぼるが小学館の学年誌に執筆していた漫画と言えば「てんとう虫の歌」が有名だが「どんぐり大将」も忘れられない。最終回は目の手術を受ける女の子のために主人公が四葉のクローバーを探す話だったと思う。
1980年にのむらしんぼが「コロコロコミック」で「とどろけ!一番」を始めたが、主人公の名前が「轟一番」。川崎のぼるの「どんぐり大将」の主人公の名前を何度思い出しても同じ名前で、長い間気になっていた。
〔空想科学研究所@KUSOLAB〕
川崎のぼる先生の話、さらに続き。代表作が『巨人の星』なのは言うまでもないが、先生は同時期にコメディ路線の『いなかっぺ大将』を描かれていた。前者は少年マガジンに週刊連載、後者は小学館の各学年雑誌に連載(学年ごとに描き分け)という離れ業をやっていたのだ。(所長)
「荒野の少年イサム」は幼い頃、アニメを見た記憶が微かにあります。「新巨人の星」のロメオ南条の西部劇スタイルを見るとさすが川崎のぼるという感じがしました。
posted at 15:03:42/
「巨人の星」終了後「ジャンプ」では原作:梶原一騎、作画:井上コオで「侍ジャイアンツ」も始まっており「ジャンプ」編集部は「巨人の星」ファンを取り込もうと懸命だったんでしょうね。
posted at 15:03:48/
小学生の頃、川崎のぼるさんと言えば「いなかっぺ大将」「てんとう虫の歌」「どんぐり大将」でした。子供の頃「巨人の星」の単行本を見た時、「梶原一騎」の名前は読めず、作画が「川崎のぼる」なので「てんとう虫の歌」と同じ人の絵だと気付いて、熱心に絵を見ていた記憶があります。
サンデーは小学館、マガジンは講談社で、現論誌でもライバルですね。小学館は「巨人の星」に対抗(?)して、学年雑誌で川崎のぼるの「いなかっぺ大将」「てんとう虫の歌」「どんぐり大将」を連載させ、サンデーでも梶原一騎原作の「柔道讃歌」を起用していました。
2014年11月14日 12:32:52
川崎のぼるが描いた「巨人の星」の星飛雄馬の目の変遷(一部記憶による模写)
大リーグボール1号の初期、1号後期~2号、3号の時で少し違っていた。
LivedoorBlog>〔星飛雄馬の目〕
⚾#巨人の星☆
”THE ROUGH AND READY COWBOY” EP01(1973)
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