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『侍ジャイアンツ』・注釋1、注釋2、注釋3

『侍ジャイアンツ』(作品解説3) 

続編はアニメでなく原作で
アニメで番場蛮の声を担当した富山敬も1995年には他界した。アニメの声なら代役も可能ではあるが、富山敬の声の番場蛮という意味では、アニメでも続編は無理となったことになる。

 

『よみがえれ侍』
漫画の紙面では「侍」の前は空白入りで、
よみがえれ 侍
である。

 

背番号4
原作で巨人に入った番場蛮が背番号4をつけたとき、記者団はなぜ不吉な番号を背負うか質問し、川上監督は4が巨人でも缺番(「欠番」)であると述べ、川上の先輩であった黒沢(俊夫)選手のことに言及し、それでも番場蛮本人の希望であると説明していた。
番場蛮が74年に急死したことで、これで完全に4番が缺番になっただろうが、91年ごろ(推定)に甥がこの番号を背負ったのは驚くべきことである。甥の番場が望み、巨人首脳部が甥と番場蛮の生まれ変わりと見なしたのであろう。
ただ、この番場の母、つまり番場蛮の妹・ユキはむすこが野球をし、背番号4を背負うことに不安で仕方がなかっただろう。最初はむすこのプロ野球入りに猛反対したはず。また、復帰したにしても、巨人はかつての番場蛮のような酷使はせず、無理をさせないようにローテーションの中で甥の番場を使ったことであろう。
4番が缺番なのは巨人軍での話で、文庫第8巻にあるように、日本ハムの武田一浩投手が4番をつけていた時期があるし、『ドカベン』では東京スーパースターズの殿馬が明訓時代と同じ4をつけている(オリックス時代は04だった)。
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富山敬は「ユキ」という名の女性キャラクターと縁がある。

 

補足
アニメの番場蛮が1972年で高1だったと假定すると、高校を中退しなければ1975年3月で卒業。高卒からプロ入りしたとすると1年目は長嶋ジャイアンツ最下位の年になっていたはず。