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1975年1976年(1)
『ドカベン』と1976年I、『ドカベン』と1976年II

山田太郎誕生から小学4年までを描いた『ドカベン』の読みきり『俵と白球』で、山田太郎が昭和51年(西暦1976年)生まれになっている。
インターネットを観ると、このことについて少し驚きの声が上がっているようだ。
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山田太郎 昭和51年 ドカベン 読み切り で検索

 

 

おそらく、そういう感想を持つのは1976年当時、原作やアニメの『ドカベン』を観ていた世代だろう(私もそうだが)。
「山田太郎昭和51年生まれ」に納得できない人たちは、何年生まれなら納得するのだろうか。
30数年前の明訓編初期の設定を採用すると山田太郎は原辰徳と同い年になり、1995年の高3からプロ入りした当時、作中では「18歳」だったが、計算上は37歳。『マカロニほうれん荘』の膝方歳三、金藤日陽に匹敵する高齢高校生になる。
「昭和51年生まれ」とすれば、山田太郎は現在、城島健司と同い年である。2007年の『少年チャンピオン』で1976年生まれの城島健司が「自分は山田と同世代」というコメントを寄せている。

 

 

 

アニメの『ドカベン』は1976年10月6日にスタートし、1979年12月26日に山田世代高2夏を描いて終わった。
つまり、『プロ野球編』の山田太郎が生まれた1976年5月5日から約5箇月後にアニメの『ドカベン』が放送されたわけである。

 

 

 

『ドカベン』明訓編初期、山田太郎が明訓高校に入ったのは1974年春であり、高1夏の甲子園は第56回大会であるから、この場合の山田世代は1975年夏に弁慶高校に敗れ、1976年春から高3、77年3月に卒業したことになる。
豊福きこう氏の『水原勇気0勝3敗11S』ではこの設定を採用している。
しかし、この初期設定をそのままのちの続編に持ち込むと、『大甲子園』のときは高校入学から10年、『プロ野球編』冒頭では入学から20年になり、『マカロニほうれん荘』の膝方歳三、金藤日曜に匹敵する高齢高校生である。

 

 

 

それに、この「74年春から在学、77年春卒」の設定は早いうちから成り立たなくなっている。
まず、山田が高1夏に対戦したいわき東高校はいわき市(磐城~)の廃坑が背景にあり、この廃坑はネットで調べると1976年である。すると、山田は1976年で高1だった可能性もある。
山田高2春の選抜が終わり、夏の予選が始まったところで殿馬と小林真司の乗った飛行機がハイジャックに遭遇。アニメの『ドカベン』ではこの飛行機が着陸した場所が成田空港で、これは1978年開港である。

 

 

 

追加
山田世代高校1年2学期の秋季大会、東海高校戦から横浜学院戦までを描いた少チャンC『ドカベン』第21巻は西暦1976年4月5日初版發行である。次に横浜学院戦から徳川監督辞任までを描いた第22巻は1976年6月20日初版。
『ドカベン・プロ野球編』以降の山田太郎のこの間の時期、1976年5月5日に生まれたことになる。
ちなみに、1974年の春~夏で高1だった明訓編開始当時の山田は、普通に1年に1学年づつ進級したとすれば、第21巻が出た1976年春にはすでに太平監督のもと、高3春の選抜を戦っていたはずである。

 

 

 

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2009年4/17 4/17前後