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2008年(4)~2009年――『未来少年コナン』『ドラえもん』


奈良県下市町立中学が車椅子の女の子の入学を拒否 

この件について続き。
特集を組んだ番組では、この女の子の両親と町の10回にわたった教育委員会の話し合いの一部が紹介されていた。教育委員会の人も取材に応えたようで、障碍者を受け入れる設備が不完全な状態で学校が障碍者を受け入れた場合、事故が起きたら過失責任を問われる、つまり、極端に言うと命の保障ができないということらしい。
女の子の親は「事故のときでも訴えないという誓約書を書く」と言ったが、教育委員会側は「誓約書など書いてもらっても、何の法的根据もない」と言って拒否した。

まず、この「誓約書」であるが、もしも必要なら、この学校に通う生徒全員からもらう必要がある。それが困難だから法律のほうが優先なのであろう。事故が起きた場合、この車椅子の少女だけが被害者になるとは限らない。ドラマ版『1リットルの涙』でも似たような問題が描かれていたと想うが、車椅子に座った当人だけでなく、その人の介助をしていた「ほかの生徒」もケガをする危険性が高いし、車椅子の人が無傷で、本人を介助していた側だけがケガをする場合もありうる。

もし、車椅子を運んであげた側が自己犠牲的な考えを持った献身的な人であれば、自分がケガをしても「一番守るべき身体障碍者を守れてよかった」と考えるだろう。昔話や偉人傳では美談になるところで、プロの消防士などはそういう精神で仕事に当たるわけだ。
しかし、一般の生徒が介助をてつだって負傷したら、生徒の親がどこまで理解してくれるか保障の限りではない。

今では、生徒の親は自分の子供の人権しか考えない(「個人主義」に近い「自分の家主義」)の人がほとんどなようだから(ドラマ『1リットルの涙』を観るとそうである)、障碍者本人以外の一般生徒のほうに負傷者が出れば、それは最悪のケースとなり、障碍者とその家族に批判の目が向けられることになる。
そして、結果、生徒の親同士の対立を回避するためには、学校や行政に矛先が向けられ、学校の管理者や市町村を相手に訴訟という形になるだろう。
└→町立中学が車椅子の女の子の入学を拒否・補足II

前後一覧
09年4/14~16

関連語句
車椅子 1リットルの涙 入学


追加
中国の映画『漂亮媽媽(Piaoliang Mama)』は若い母親・孫麗英(Sun Liying)が、聾者である息子・
鄭大(Zhengda)を普通の学校に入れようと奮闘する話である。なぜ、聾唖者專門の学校に入れたがらないか、理由はよくわからない。中国は法治より人治を重視する国と言われるが、それでも聾者が普通の学校に入るのは難しい。
個人同士の「誓約書」や「関係」が公の「法」より優先されると、せっかく、政府が食品の安全基準を法で決めても守られないことになる。
『漂亮媽媽』の英語のタイトルは『Breaking the Silence』(直譯すると「沈黙を破ること」)であった。
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