山田世代高2春のセンバツ 


│北海道
│北の誉水産

│東北
│宮城・青葉城高校、山形・花笠高校

│北信越
│長野・野沢農林、新潟・信濃川高校(徳川監督)

│関東(首都圏?)
│群馬・赤城山高校、東京・飯田橋実業、小金井大付属高(東京から2校)
│栃木・江川学院(山田を5打席連続敬遠)、神奈川・明訓(土井垣監督、優勝校)

│東海
│静岡・浜松農高、岐阜・鵜飼商高、愛知・尾張第一

│関西(近畿?→参照
│和歌山・紀伊田辺高、奈良・大仏高校、新田商高(奈良から2校)
│兵庫・甲子高校、六甲山高校(兵庫から2校)、滋賀・近江商高
│大阪・御堂筋学園

│中国(山陰と山陽)
│広島・佃商高、香川・内海高校、岡山・倉敷東、鳥取・大砂丘学院(明訓と対戦)

│四国
│愛媛・新井浜電気(媛の右上は爪、新居浜でなく新井浜)
│高知・土佐丸高校(犬飼小次郎が監督、犬神の背面投法などで山田を苦しめた)

│九州
│熊本・川上工高(第1日第2試合で紀伊田辺に敗れ、敗退)
│長崎・佐世保ラサール(赤城山と対戦)
│鹿児島・桜島大商高

│(明訓と開会式直後に対戦、里中の初HRと山田のツーランによって敗れる)

│沖縄
│琉球高校

 

大会では犬飼武蔵のHR、殿馬の初HRも含めてラッキーゾーンに入るHRが続出しており、作中での描写から西暦1978年、または79年ごろの大会のようである。徳川監督がひきいた信濃川、犬神投手の加わった準優勝校・土佐丸も名勝負を見せたが、高校野球史で特筆すべきは江川学院の中二美夫(あたるふみお)が明訓の山田を5打席連続敬遠したことであろう。里中智の「さとるボール」が生まれた大会でもある。
一方、『ドカベン・プロ野球編』の設定では、山田世代高2の春は1993年になる。これとは別に星稜高校時代の松井秀喜が明徳義塾によって5打席連続敬遠されたのはその半年前、92年夏の全国大会であった。
甲子園球場のラッキーゾーンは92年から撤去されている。

 

なお、少年チャンピオン・コミックス『ドカベン』初刊の時期から観ると、この山田高2春選抜が1977年から78年にかけて描かれたようだ。