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日清、日露戦争日韓併合ハレー彗星(1910年)、 辛亥革命、タイタニック、第1次世界大戦


辛亥革命前後
1911年から1912年にかけて、辛亥革命によって清朝は滅亡。中華民国(下注釋)が成立した。これにより、満洲がシナを侵略した罪は相殺された。もし、朝鮮人が日本人だった時代にこの革命をやっていたら、日本列島と満洲、台湾は韓国領だったことだろう。これが実現していたら、南北分断も拉致問題もなかったのではないかと想える。
『情深深雨濛濛』は中華民国建国直後が舞台らしい。

1912年、タイタニック号が沈没。1500名余りが死亡。

1913年、袁世凱が南京を占領し、第2革命が失敗。ネットによるとこの占領で在留日本人が数名、殺されたらしい。

『デビルマン』の「ウイーンの晩い春」によると、不動明と飛鳥了が若き日のアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)と遭遇。
この年、ヒトラーはウイーンからミュンヘンに移ったらしい。第1次大戦後、欧洲が一時、反戦主義に傾いたため、ヒトラー、ナチをつぶすのが遅れたという皮肉な結果となった。これは「戦争」の反対がそのまま「平和」でないことを意味している。

辛亥の年は西暦の1の位が1で、60年間隔らしい。
1911年の前は1851年(水野忠邦没)、その前は1791年(大黒屋光太夫がエカテリーナIIに謁見)、その前は1731年(吉宗の享保の改革中期)であった。
└→『必殺仕切人』の時代設定

1911年、日本にスキー傳来。2011年はスキー傳来から100年である。


関連語句
孫文(詳細)


注釋
中華民国
英語名は Republic of China であるから「支那の共和国」である。日本では以前、「支那共和国」と呼んでいた。
中華民国(支那共和国)は1949年の中華人民共和国(支那人民共和国)成立によって台湾に残った。もともと大陸+台湾で中華民国だったとすると、1949年に大陸の人民共和国が中華民国から独立したわけである。
中華民国は大陸シナを支配していた時期、日本に「支那」の使用をやめるよう要請したがそれは1999年の人民日報「“支那”源流考」によると「英文須写 National Republic of China」「中文須写“大中華民国”」というもので、「英文」と「中文」に関する要請だけで「日文」に触れておらず、しかも外交文書での問題だけで、日本人の日常会話や日本のマスコミや書籍での表現を拘束することはできなかった。そもそもこの要請は「支那」という文字を禁止するだけで詞(ことば)を禁止していなかった。結局、これは支那共和国の人が漢字で書かれた日本語を「中文」と誤解した結果であった。
└→漢字論原点回帰II>中国における「中文」と「英文」の二者擇一によって生じる固有名詞の上での問題

台湾も「中華民国」を名乗る以上、旅券にある英語の国名には CHINA が入る。そこを理解していない人が世界に多いようだ。
現在の日本の地図帳では、台湾は名称の文字の色や周りの線などから見て、中国の省でもなく、独立国でもないような扱われ方で、表面上は福建省の一部のように表示されている。
1912年は民国元年であり、2011年は辛亥革命から100年であり、民国100年でもある。


参照
孫文と梅屋庄吉
2008年9月前半
1894年甲午日清戦争、1910年日韓併合、1911年辛亥革命年表
近現代~未来ドラマ作品(2009年4月~6月)