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『ドラえもん』の原作スタートからの9年間III、III


私は1970年代の半ばから末の間(厳密には1980年3月まで)に小学校生活を送った。したがって、小学生として児童漫画『ドラえもん』を楽しんだ歴史はテレ朝版のスタートの時点で末期にさしかかっていた。1980年の『のび太の恐竜』公開当時は小学校を卒業して中学に入るときだったので、それ以降、すでに年齢的にアニメや特撮を楽しむ趣味も終わりにさしかかっていた。
何しろ、野比のび太自身、原作の『ドラえもん』がスタートした当時、1970年で小学生、1979年の春には高校を卒業して大学を受ける設定だった(下注釋)。

1973年に富田耕生と野沢雅子がドラえもんの声を担当して6年。今度は3人目となる大山のぶ代が1979年にドラえもんの声を担当することになった。その声を初めて耳にしたとき、非常に違和感を覚えたのを覚えている。当時、すでに『ドラえもん』ファンとしてある程度のキャリアを積んでいた人も同じ感想を持っていただろう。
そして、大山のぶ代の声のドラえもんが世間に定着して四半世紀、今度は大山のぶ代の声に慣れた視聴者が、大山氏からバトンタッチした水田わさびの声に対して違和感を抱くようになったのだろう。
要するに声優交代で視聴者が違和感を持つということが26年ぶりに繰り返されただけの話である。
そもそも、大山のぶ代の前の野沢雅子も富田耕生からバトンタッチした結果であった。ドラえもんの声が男から女になったとき、性格や言葉づかいまで代わったように想えた。
2005年春の声優交代からすでに4年経過した。テレビと映画を観た感想を言うと、すでに「水田ドラ(わさドラ?)」の声にはすっかりなじめた。それはドラえもんの声変わりを視聴者としてすでに3回経験したおかげである。

さて、「大山ドラ」が終了した2005年春に小学校に入った世代は2009年の春で小学5年。
また、小学生時代に「大山ドラ」をたっぷり楽しみ、2005年春で小学校を卒業した世代は、2009年春から高校2年生である。
「大山さんの声でないとなじめない」という気の毒な人は、今では中学生か高校生、あるいはそれ以上であろう。そういう人たちは、なじめなければ1979年から2005年春までのアニメのDVDを観賞して郷愁にひたっていただきたい。ただ、大山のぶ代の声のドラえもんも初めは同じ違和感を持って受け止められたことは知っておく必要があると想う。

一方、私はその違和感が年月の積み重ねで薄らいでいくのを実感してきたほうである。テレ朝版の前の日テレ版をリアルタイムで知っていたおかげで、ドラえもんの声変わりにはすでに免疫ができていた。今や水田わさびのドラえもんにはすっかり慣れた。むしろ、今、大山のぶ代の声のドラえもんを久しぶりに視聴したら、そちらのほうに違和感を覚えるだろうし、今の4歳以下の子供たちもそうだろう。
2009年春現在、4歳以下の子供は「大山ドラ」を知らない世代であろう。この子供たちにとって水田わさび以下、今のレギュラー声優陣の声による『ドラえもん』(「水田ドラ」または「わさドラ」)が第1号である。『ドラえもん』のスタッフはその子供たちに作品を送り続けていればいい。藤子作品はそもそも、リアルタイムの子供たちを相手にしていたのだから。
かく言う私も4年前までの作品にこだわらず、ドラえもんが水田わさび、野比のび太が大原めぐみ、源静香がかかずゆみの声の『ドラえもん』を観賞するつもりである。
ただ、あえて過去にこだわるなら、日テレ版のドラえもんをもう一度観てみたいものである。

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09年4/10


注釋
原作てんとう虫C第1巻第1話ののび太は、アニメ第1作が始まった73年春の段階ですでに小学校を卒業し、中学に入っていたはずである。
一方、原作てんとう虫C第2巻「ぼくの生まれた日」におけるのび太は1964年8月7日生まれなので、1970年の誕生日で6歳。小学校入学は71年4月であった。それでも77年3月には小学校を卒業していたことになる。


参照
『ドラえもん』における各年代
テレ朝・水田版『ドラえもん』(2005年~)
主な『ドラえもん』関連記事(2009年4月~5月)