大リーグボール改良案・注釋 

星飛雄馬の球種の謎
『新巨人の星』の星飛雄馬は1976年と77年の2シーズン、魔球抜きの剛速球だけで勝負していたようなイメージがあるが、実は実戦でシュート、スライダーも使っており、さらに王に球種を観てもらった練習ではフォークボールまで披露していた。『新』の最終回で横浜大洋の左門に蜃気楼の魔球を打たれたとき、その前にシュートを投げていた。

 

 

さきほどの、77年に左門に打たれた試合で解説者が「星のシュートは右投げに転向してからとりわけ右打者に対しては威力を増してますな」と言っていた。これは1977年前半戦、巨人×大洋戦で、飛雄馬が左門に本塁打を打たれた直後。文庫第4巻「噴火の章」、225ページに掲載されている場面である。

 

 

 

この解説者のことばは、受け取りかた次第では、まるで飛雄馬が「右投げに転向」する前からシュートを投げていたようにも解釋できる台詞である。

 

 

 

もちろん、星飛雄馬は『巨人の星』で左投げであり、『新巨人の星』で右投げになった。
飛雄馬が左投手だったころの『巨人の星』を見る限り、飛雄馬が左投げでシュートを投げていた形跡はない。
星飛雄馬が左投げ時代に投げていたのは「スローボール」「まっすぐの速球」「魔送球」のほかは「大LB3種類」のみであって、飛雄馬がシュートやスライダーなどを投げるようになったのは作品を観る限り、『新巨人の星』で右投手になってからである。

 

 

 

すると、この解説者のことばは「星は右投手になってシュートを投げるようになり、そのシュートが右打者に対して威力を増している」という意図で言ったのだろう。
しかし、ことばの上では、まるで飛雄馬が左投手時代からシュートを投げていて、そのシュートが右投げになって右打者に対して威力を増したようにも解釋できる。

 

 

 

こうなると、左腕時代の星飛雄馬がいろいろな変化球を投げ分けていたと考える以外にないのだが、そこの歴史はどうなっているのか、大きな謎である。

 

 

 

柳田理科雄は『空想科学読本2』で大リーグボール2号を検証し、『空想科学[漫画]読本4』で大リーグボール3号を検証している。
柳田氏は消える魔球を実現させる案として、ボールに電気をためて、事前に球場全体に磁場をかけ、飛雄馬がフォークボールを投げて電磁気力でボールをホップさせ、同時に土けむりも舞いあげるという策を考えている。
漫画のとおりの魔球を実現させるなら、それが現実的だろうが、飛雄馬がフォークボールを投げられるのなら、それをそのまま使えばいいだけの話で、それを「消える魔球」などに脚色する必要はない。
「消える魔球」にすると、消えなくなった途端に攻略されてお終いになる。

 

 

 

ちなみに、飛雄馬が右腕投手として復帰し、左門の球種を読まれて打たれ、二軍落ちした飛雄馬を王がテストしたとき、飛雄馬はフォークボールを投げることもできたようだ。次を参照。

 

 

 

研究魔の左門に頼り、左門に打たれた飛雄馬
星飛雄馬は1976年の後半戦に右投手として古巣の巨人に復帰したとき、77年の前半戦、4連勝のあとの対大洋戦で、ライバル・左門によって投球動作から球種を読まれ、左門一人に打ち込まれて、敗戦投手となった。
王が長嶋監督に進言し、右腕の星は二軍落ちとなり、飛雄馬は衝撃を受ける。左投手時代はライバルに打たれただけで独断で自ら二軍に行き、あるいは失踪を繰り返していた星は、この時期、なぜか、「4勝して1敗しただけで二軍落ちとは酷だ」と悩んでいた。

 

 

 

しかし、前の年、星飛雄馬が巨人に復帰するための打撃練習に役立った左門メモのデータを考えれば、左門が星野仙一や外木場義郎の癖だけでなく、星飛雄馬の投球動作まで研究するであろうことは、容易に想像できたはず。王貞治から助言されるまで、そこに気づかなかった星飛雄馬もうかつである。

 

 

 

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09年3/29