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(2000~)2001~2002年、2003~2004年>補足、2005年、2006年I、2006年II~2007年、2008年(1)
┌2003年~2004年――『鉄腕アトム』『世界の中心で、愛をさけぶ』
↓
2003年4月7日、埼玉県新座市が鉄腕アトムを市民登録し、住民票を市民に配布。柳田理科雄氏が『空想科学読本5』でアトムのパワーをどう生かすか分析した。
住民票ではアトムの住所の世帯主はお茶の水博士で、アトムの姓は「鉄腕」、名は「アトム」。柳田氏は「鉄腕」を愛称と想っていたらしいが、同感だ。アトムは天馬博士の息子の代わりなので「天馬アトム」とすべきか、あるいはお茶の水博士の居候なので「お茶の水アトム」とすべきであろう。
(2000~)2001~2002年、2003~2004年>補足、2005年、2006年I、2006年II~2007年、2008年(1)
┌2003年~2004年――『鉄腕アトム』『世界の中心で、愛をさけぶ』
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2003年4月7日、埼玉県新座市が鉄腕アトムを市民登録し、住民票を市民に配布。柳田理科雄氏が『空想科学読本5』でアトムのパワーをどう生かすか分析した。
住民票ではアトムの住所の世帯主はお茶の水博士で、アトムの姓は「鉄腕」、名は「アトム」。柳田氏は「鉄腕」を愛称と想っていたらしいが、同感だ。アトムは天馬博士の息子の代わりなので「天馬アトム」とすべきか、あるいはお茶の水博士の居候なので「お茶の水アトム」とすべきであろう。
2004年8月にはアテネ五輪が開催された。
野球の日本代表監督は長嶋茂雄だったが、長嶋氏は病気で現地入りできず、中畑ヘッドコーチに指揮をとらせた。しかし、監督が日本にいて五輪会場にいるのが監督でないコーチというのは世界も納得せず、中畑清は現場では監督という形になった。日本側が「長嶋JAPAN」に執着しても、それは日本だけの話。
そもそも、野球の監督は英語で manager だが、たまに head coach と譯される場合もあり、サッカーの監督は
coach である。
シナ語では野球の監督は「教練」jiaolian または「總教練」zong-jiaolian である。
そもそも、野球の監督は英語で manager だが、たまに head coach と譯される場合もあり、サッカーの監督は
coach である。
シナ語では野球の監督は「教練」jiaolian または「總教練」zong-jiaolian である。
長嶋茂雄の健康に不安が集まる中、『週刊ブレイボーイ』2004年3/30号(No.13)で「野球アテネ五輪日本代表、こうなりゃ原JAPANでいいじゃないか」という記事が出た。日本代表の帽子とユニフォームに原辰徳の顔をはめた合成写真も掲載されている。星野仙一と長嶋茂雄の写真もある。
2004年当時、巨人の監督は堀内恒夫で、原辰徳は第1次(2001~2003年)と第2次(2005年以降)の間で、記事には背番号83の原監督がおそらく辞める際に星野仙一から花束をもらった写真が掲載されている。
五輪とWBCの違いこそあれ、今、想えば予言的な記事である。
原JAPANの愛称が「サムライジャパン」らしい。『侍ジャイアンツ』のような言い方だ。
「なでしこJAPAN」は「やまとなでしこ」の「やまと(大和)」がJAPAN(日本)になったもの。
「なでしこJAPAN」は「やまとなでしこ」の「やまと(大和)」がJAPAN(日本)になったもの。
2004年12/9号の『アサヒ芸能』によると、新潟県小千谷市の『市報おぢや』1968年12/10号で、当時、東京大学地震研究所の教授だった宮村攝三(~せつみ)氏が地震の可能性を指摘していたらしい。1964年の新潟地震から4年後であった。
2004年春は映画ドラえもん「ワンニャン時空伝」公開。夏のアテネ五輪で中畑清率いる日本野球は銅メダルでマラソン野口みずき金メダル。新潟県中越地震。11月に大山のぶ代さん他先代声優陣が半年後の2005年春に降板することが全国紙の社会面で報道された。
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五輪での日本の野球チームの結果。1988年ソウル五輪では野茂と古田のバッテリーで銀メダル。2004年のアテネでは中畑清が現場監督で銅。2008年北京では星野ジャパンが4位で、女子ソフトが金メダル(2012年世界選手権でも金)。 非常におおざっぱだが順位がどんどん下がっているように見えるのは気のせいか。
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2003年5月23日、個人情報保護法成立。2005年4月1日から施行された。