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侍ジャイアンツ(作品解説1、作品解説2、作品解説3)
Wikipedia 侍ジャイアンツ
侍ジャイアンツ(作品解説1、作品解説2、作品解説3)
Wikipedia 侍ジャイアンツ
梶原一騎・原作、井上コオ・作画の野球漫画。
集英社の『少年ジャンプ』に連載されたが、文庫は講談社漫画文庫。
集英社の『少年ジャンプ』に連載されたが、文庫は講談社漫画文庫。
梶原一騎と川崎のぼるの『巨人の星』では父と子の戦いがテーマであったが、武士道が男の生きる道の手本として何度も出てきており、『侍ジャイアンツ』はその武士道を前面に出している。
梶原一騎得意の格闘技漫画と対比すると、『巨人の星』と同時期に『柔道一直線』が出ており、『侍ジャイアンツ』と同時期に『柔道讃歌』が出ている。
『巨人の星』と『柔道一直線』では主人公の師匠が後半で敵にまわる。
『侍ジャイアンツ』と『柔道讃歌』では母とむすこ、浜辺で育った境遇、敵だったはずの人物が初めから師匠であるなど、似ている点が多い。
梶原一騎得意の格闘技漫画と対比すると、『巨人の星』と同時期に『柔道一直線』が出ており、『侍ジャイアンツ』と同時期に『柔道讃歌』が出ている。
『巨人の星』と『柔道一直線』では主人公の師匠が後半で敵にまわる。
『侍ジャイアンツ』と『柔道讃歌』では母とむすこ、浜辺で育った境遇、敵だったはずの人物が初めから師匠であるなど、似ている点が多い。
豊福きこう氏の『水原勇気0勝3敗11S』によると原作では番場蛮は1970年秋のドラフトで指名され、また、アニメでは72年秋のドラフトで巨人から指名され、初めは拒否するも、「巨人を中から倒す」として入団。
番場蛮は原作で1954年生まれ、アニメでは1956年生まれになる。
文庫第1巻は「昭和45年度日本シリーズ」を描いている。
ところが原作川上監督が番場蛮を指名したドラフトは、番場の家につめかけた記者の話では「昭和四十六年度」(ここでは数字は漢字だった)で、これでは1年の空白ができる。
そのあと、文庫第2巻では1971年3月11日、番場蛮の属する川上巨人はアメリカのマイアミ球場でオリオールズと対戦(注釋1)、そのあとに昭和46年度(1971年度)のシーズンが開幕するので、記者が言った「昭和四十六年度」は間違いであろう。
ところが原作川上監督が番場蛮を指名したドラフトは、番場の家につめかけた記者の話では「昭和四十六年度」(ここでは数字は漢字だった)で、これでは1年の空白ができる。
そのあと、文庫第2巻では1971年3月11日、番場蛮の属する川上巨人はアメリカのマイアミ球場でオリオールズと対戦(注釋1)、そのあとに昭和46年度(1971年度)のシーズンが開幕するので、記者が言った「昭和四十六年度」は間違いであろう。
原作は1970年日本シリーズから始まり、71年から74年までのシーズンを描き、アニメでは72年の日本シリーズから始まって73年のシーズンを描いている。
30年余り前に観て、最近も GyaO で配信されたのを観た。
30年余り前に観て、最近も GyaO で配信されたのを観た。
番場蛮が歌っていた「侍ニッポン」替え歌の歌詞は、原作の漫画にあるが、アニメではハミングになっている。これでは番場の歌のあと、客席の少女が言った「だれのハートを射ぬきたいのよ」の意味がわかりづらくなる。
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↑侍ジャイアンツ 侍ニッポン 替え歌 で検索
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↑侍ジャイアンツ 侍ニッポン 替え歌 で検索
「権利、権利」と叫ぶ風潮が作品を改竄してしまうし、それが海賊版を増やす結果になる。こうなると「海賊版」と言われる過去のコピーにもとの作品の姿が残っていることになる。
何とかして、番場の歌がもとのままの形で視聴したいものだ。今、出ているDVDは改竄されたほうのようなので、今のところ、買う気はしない。本放送当時のままのDVDが出たら迷わず買うつもりだ。
└→『侍ジャイアンツ』(作品解説2)
└→『侍ジャイアンツ』(作品解説2)