年齢別、星一徹、岩田鉄五郎、あぶさん比較表 

星一徹、景浦安武(かげうらあぶ)、岩田鉄五郎の年齢変遷である。

 

 

○前=プロ入り前(少年時代、小中学、高校など)、○戦=出征、復=復員、○社=社会人野球、ノンプロ
○現=現役、○引=引退後、○指=指導者、○現/引=現役選手と引退後の両方の可能性あり
○現兼指=現役選手兼任の指導者

 

 

 

1920_00▽星一徹(推定1920~1979)
1921_01前 
1922_02前 
1923_03前___00▽岩田鉄五郎(1923~)
1924_04前___01前
1925_05前___02前
1926_06前___03前
1927_07前___04前
1928_08前___05前
1929_09前___06前
1930_10前___07前
1931_11前___08前
1932_12前___09前
1933_13前___10前
1934_14前___11前
1935_15前___12前
1936_16前___13前
1937_17前___14前
1938_18前___15前 昭和13年、『鉄五郎のバラード』で鉄五郎が語った過去。
1939_19前___16前
1940_20前___17前 鉄五郎、第26回全国中等学校体育競技總力大会で優勝。
1941_21前___18前 鉄五郎18歳はこの年。
1942_22現→戦_19前 一徹、巨人に入団するも赤紙。春江懐妊(生まれた子が明子)。
1943_23戦___20前
1944_24戦___21戦
1945_25戦___22復               ┌→(1946~、または1947~)
1946_26復___23現_____00前▽景浦安武 一徹復員。岩田鉄五郎東京倶楽部入団。
1947_27現___24現___00~01前 一徹、巨人に復帰するも、引退。
1948_28引___25現___01~02前 鉄五郎、自己最多勝利15勝。
1949_29引___26現___02~03前
1950_30引___27現___03~04前 東京倶楽部が東京メッツに。
1951_31引___28現___04~05前 『巨人の星』プロ野球編の星飛雄馬誕生。
1952_32引___29現___05~06前 
1953_33引___30現___06~07前
1954_34引___31現___07~08前
1955_35引___32現___08~09前
1956_36引___33現___09~10前
1957_37引___34現___10~11前
1958_38引___35現___11~12前 ┌1958年、飛雄馬が長嶋に魔送球を投げつける。一徹は飛雄馬に
1959_39引___36現___12~13前 │大LB養成ギプスをつけて鍛えようとする。飛雄馬は王貞治と、
1960_40引___37現___13~14前 └そして花形満と対戦。一徹が飛雄馬に火だるまボールのノック。
1961_41引___38現___14~15前
1962_42引___39現___15~16前
1963_43引___40現___16~17前
1964_44引___41現___17~18社 景浦安武が甲子園でHRを打つものの、酒がばれて優勝取り消し。
1965_45引___42現___18~19社 └→岩田鉄五郎が監督。
1966_46引___43現___19~20社 飛雄馬が青雲高校に入学。
1967_47引___44現___20~21社 飛雄馬が高校を中退し、巨人にテスト入団。
1968_48引___45現___21~22社
1969_49指___46現___22~23社 一徹が中日コーチに就任。飛雄馬と親子対決。
1970_50指___47現___23~24社 飛雄馬が失踪、一徹が中日を退団。
1971_51引___48現___24~25社
1972_52引___49現___25~26社
1973_53引___50現___26~27現 景浦が岩田のスカウトで南海入団。
___↓____↓____↓___ メッツが富樫平八郎3位指名。
1974_54引___51現___27~28現 唐部、丘、火浦健、長島太郎、日下部が一軍デビュー。
1975_55引___52現___28~29現 一徹が飛雄馬と再会。秋ドラフトでメッツが水原勇気を指名。
1976_56引___53現___29~30現 飛雄馬が巨人に復帰、一徹が飛雄馬にギプス右投手用を与える。
1977_57引___54現/引_30~31現 この前後、岩田鉄五郎と水原勇気引退か?
1978_58引___55現/引_31~32現 アニメ『新巨人の星II』で一徹没。明子出産。
___↓____↓____↓___ 飛雄馬が巨人の二軍コーチに(『巨人のサムライ炎』)。
1979_59没___56現/引_32~33現
1980______57現/引_33~34現
1981______58現/引_34~35現
1982______59現/引_35~36現 ┐岩田鉄五郎と五利監督が横浜球場で明訓×白新(神奈川、夏
1983______60現/引_36~37現 │の決勝)、甲子園で明訓×青田の試合(準決勝)を観戦。
1984______61現/引_37~38現 │水原勇気がクリーン×青田の試合(千葉、夏の予選)を観戦。
1985______62現/引_38~39現 ┘当時、岩田鉄五郎はまだ現役か。
1986______63引___39~40現
1987______64引___40~41現
1988______65引___41~42現
1989______66引___42~43現
1990______67引___43~44現
1991______68引___44~45現
1992______69引___45~46現
1993______70引___46~47現
1994______71引___47~48現
1995______72引___48~49現
1996______73引___49~50現
1997______74現兼指_50~51現 岩田鉄五郎と水原勇気が20年ぶり(?)に現役復帰。
1998______75現兼指_51~52現
1999______76現兼指_52~53現
2000______77現兼指_53~54現 景浦安武の息子・景虎が近鉄に入り、親子対決。
2001______78現兼指_54~55現
2002______89現兼指_55~56現
2003______80現兼指_56~57現
2004______81現兼指_57~58現
2005______82現兼指_58~59現 日本シリーズがメッツ×スーパースターズ。
2006______83現兼指?_ 59~60現兼指
2007______84現兼指?_ 60~61現(兼指?)
2008______85現兼指?_ 61~62現(兼指?) 王監督勇退。景浦安武に孫誕生。
2009______86現兼指?_ 62~63現(兼指?) 景浦安武がこのシーズンを最後に引退を表明か。
2010______87現兼指?_ 63~64引?(指?)

 

 

 

星一徹は川上哲治と同い年として1920年生まれと假定。
Wikipedia では景浦安武は1946年生まれだが、2009年4月5日号の掲載誌『ビッグコミックオリジナル』における作者・水島新司の話では2009年で62歳のようなので1947年生まれもありえる。ここでは両方の可能性を併記した。

 

 

 

星一徹と景浦安武はいずれも50歳前後になって、18~19歳の息子とプロで対戦(一徹は西暦1969~70年、景浦安武は2000年以降)したが、一徹はコーチ、あぶさんは現役打者として息子の挑戦を受けた。

 

 

 

飛雄馬が『巨人の星』第1話で長嶋に魔送球を投げつけた段階から青雲高校入学まで、父・一徹の年齢は38歳から46歳。桑田真澄や工藤公康の経歴を考えると、当時の一徹は現役でもおかしくなかった。巨人は無理でも他球団でも通用しただろうし、ノンプロで野球を続けることもできたはず。少なくとも少年野球チームの監督くらいはやってよかった。

 

 

 

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2009年3/21